2016/04/07

スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』(柴田元幸訳/白水社)

読み終えてしまった。。。
エリクソンの小説はどれも面白くて、いつも終ってしまうのを惜しんでなるべく少しずつ読む。後半なんてちびちびと読み進める。
だから、まず読了後に思ったのは「あぁ、終ってしまった」というがっかりと寂しさ。
このエリクソンもとっても良かった。すごく面白かった。
映画を観ているように読むことができたし、映画のような面白さがある小説だった。

やっぱり柴田元幸さんは翻訳が巧いよなぁと改めて思った。柴田さんが翻訳しているからエリクソンは面白いのではないかと思う。
アンジェラ・カーターの『花火』を読んでいた途中でこの『ゼロヴィル』に移ったから尚更そう思った。
知らない作家や作品が柴田さんの翻訳だったら読んでみようと思えるほど私は柴田さんも好き。


物語は映画を中心とした話。
『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーを剃った頭に刺青した主人公ヴィカー(Vikar)。映画に取り憑かれた映画自閉症の彼の物語。
ヴィカーとは対照的に私は全く映画に疎いけれど、何の問題もなく読むことができた。
私は『陽のあたる場所』すら観たことがないし、作中に出て来る数々の映画のうち『ある愛の詩』くらいしか観たことがないけれど、そして俳優や女優にも疎いけれど、面白く読むことができた。いつもと同じようにエリクソンの世界にすっかり呑み込まれた。

『ゼロヴィル』は、エンターテインメント性が高く、『Xのアーチ』に比べたらずっと軽やかで明るい。エリクソンの他の小説と比べて光を感じる小説だった。
エリクソンの他の小説を思い出そうとすると私の頭の中に浮ぶ画はどれも夜。けれども『ゼロヴィル』は暗闇ではなく、夜明けの白い画が浮んでくる。
シーンとしては夜や暗闇の方が多いし、内容はやっぱりいつものように現実と現実ではない世界が複雑に絡み合って、芯は深く重く、ハッピーとは言えない。現実にはあり得ない物語的な小説なのに、あまりにも現実的過ぎる。私は哀しみを感じたし、切ない気持ちにもなった。
それでも、読み終えてこの小説のことを思う時は朝の白い感じや薄い水色の空の画が浮ぶ。

兎にも角にも、とても面白い小説だった。
『陽のあたる場所』と『裁かるゝジャンヌ』くらいは観ようと思った(苦笑)



余談だけれど、読み初め、ふと「村上春樹さんが書きそうだな」と思ったりした。若かりし日の村上さんが若い頃の情熱で今の熟練さを持って書いたらこんな感じのものを書きそうだな、と。『ゼロヴィル』の特殊な断章形式だったり主人公ヴィカーのキャラクターだったりがそう思わせたのかも知れないし、村上さんの語りが翻訳小説風だからそう思ったのかも知れない。しかし読んでいくとやっぱりエリクソンでなければ書けない、エリクソンの世界があって、どうして村上さんを思い出したりしたのだろう?と不思議になるのだけど。