2011/04/13

THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 4『ファイアズ(炎)』(村上春樹訳/中央公論社)



この本にはエッセイと詩と短編が収められている。
短編はこれまでにも収められていた作品のバージョン違いの作品もある。
『足もとに流れる深い川』は私が特に好きな作品。
今回のバージョンは以前に読んだバージョンで <もっとこうだったらもっといいのに> と思っていた <こうだったら> の部分が書き足されていて、すごくいい。ようやくしっくりした感じ。絶対このバージョンの方がいい。
精神病の徴候のある妻と川に棄てられていた少女をすぐには通報しないで放置していた夫。夫の方は<まとも>だけれど人間として深みがない。語り手は妻だからこの話自体の真実性に疑問もある。
すごくよく考えられているし、すごく興味深い作品。たぶん読む人によって様々な読み方が出来て、どの人間に焦点を当てどの角度から話を見るかでも内容が変わってくる。私は以前のバージョンでも今度のバージョンでも妻の目線でしか読めずこの妻の気持ちがすごく分かるのだけれど、たぶん別の読み方もあるんだろうなとは分かる。

詩について。
詩を読んだのは佐藤泰志作品集以来だ。
もともと私は詩をよむのが得意じゃない。塾で国語の先生をしていたときから詩には弱かった。だからあまり自分から進んで詩は読まない。
収められている詩は4つの章に分けられていて、読み始め私はあまりいいと思えなかった。レイモンド・カーヴァーより佐藤泰志の方が好きだなぁとも思った。でも、2、3、4、と読み続けていると(2はブコウスキーが喋っている設定の『君は恋を知らない』という詩ひとつだけ。これはすごく「ブコウスキーらしく」て、なかなかいい詩だと思う)、だんだん詩の心地良さがしっくりと体に馴染んでくる。詩っていいじゃないかという気にさえなる。どういうところがどういう風にいいとか言うのではなく心に直接語りかけてくるものなんだなぁと気付いた。絵と同じなんだと思った。
そんな風に読んでいてふと思った。
詩は夜に似合うのはどうしてだろう?
夜になると私の中でいくつもの言葉が蛇のようにうねうねと這い出して来る。私の詩のイメージはその蛇に似ている。
アイボリーブラックに透明のグリーニッシュブルーを混ぜた夜の森で、言葉の蛇たちは次から次と生まれ出てくる。
夥しい数の蛇たちは白く光ってゆらゆらと天へ昇って行く。
蛇が身をくねりよじる度に光り輝く粉が宙を舞って散らばる。
私にとって詩はそういうイメージ。だから詩が夜に似合うと感じるのかも知れない。

もう一度この本の詩を読み直してみたいと思っている。