2013/10/22

『こころ』夏目漱石(iBooks)


夏目漱石もほとんど読んでいなかったから無料のiBooksで読むことにする。

そういう話だったのか、夏目漱石ってやっぱり読みやすいしおもしろいな、と思った。
若い頃の私は夏目漱石は健全な感じがして敬遠して、ちょっと暗い感じの太宰や三島の方に傾倒していた。

夏目漱石はあたたかな太陽のような、日だまりの若草の匂いのするような作品というイメージをもっていた。私は太陽よりは月を、若草よりは枯葉を好いていたからこれまでずっと読む機会がなかった。

今回読んでみて思っていたのとはちょっと違った。
まず文章表現がいいなと思った。穏やかできれいだと思った。
それに、若草の匂いはあるもののそこには漆黒の空に浮かぶ月のようにひっそりとした冷たい輝きもあった。
人のこころの深いところをじとっとした暗さを持たせずに描いているところが本当に素晴しいと思った。
親族や友人や異性という他の人と関わるということで生まれる苦しみや煩悶、他人と関わることで己が見え、その自分自身を見詰めて生きてゆくこと、そういうことをどんよりとした印象で描かない夏目漱石というのは天才だと思う。

作品の構成も今読んでも秀逸だし、内容も今読んでも共感できる。若年から中年まで読める作品だと思う。
「先生」という登場人物の名前の付け方にもセンスを感じる。
終り方も、もっと読みたいという、どうなるんだろうとまだ先を期待する読者を裏切るように終るところにもセンスを感じる。
色々なところで本当にうまいなぁと思った。

先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。(p57より) 
 
私は人間を果敢(はか)ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生まれた軽薄を、果敢ないものに観じた。(p151より)

2013/10/20

『随筆集 光と翳の領域』串田孫一(講談社文庫 1973)

この本を私はとても気に入っている。
再読もしたし、植物のリストも作ってその姿を写真でチェックもした。他にも色々たくさん書き出したし、付箋も貼った。それでもまだこの本に対して納得がいっていなくて読書感想として日記にあげていなかった。
3回目を読んでもっときちんとした感想をまとめてから日記を書こうと思っていたのだが、とりあえず一度読んだ本ということで載せることにした。

串田さんの本をいくらも読んでいない私だけれども、私はこの本がいちばん好きだし、いい、と思った。
また読みたい(読まなくてはいけない)とも思っている。

何がそんなにいいのかというのをざっくり大きくひと言で言うと、この『光と翳の領域』に収められた文章は美しい。自然の姿をまさにその通りだと思う表現で言い表わしているし、串田さん的な哲学的なニュアンスも混ざり合って本当に素晴しくて美しい文章になっている。
言葉も文章も生き物みたいに本から浮き出して、色や自然になって消えてゆく感じなのだ。
こういう風にものを見れたらいいなぁ、こういう絵が描けたらいいなぁ、と憧れる。

ただ、集中して読まないと、文章が美しいがために何も入って来ずにするすると流れてしまう。一度目に読んだ時は何度となく「いかん、集中しなくては」と思ったり、何度となくページを戻ったりした。
難しいといえば難しい文章でもある。私は、多分きっと、串田さんの真意は読み取れていないだろうなとも思う。

じっくりと心で噛み締めるように読みたい1冊。

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ノートに書き写していた、とても共感したいくつかの文章を載せておく。


風景を色彩によって描くのなら、それによって共感を起こすような色をまぜてはならない。赤がAを感じさせるのは赤が単純でないからだ。(「牧歌」より)


一切の動物と、殆どすべての植物とが仮死の冬眠についているこの森は、そういう深い眠りの世界を胎内に孕んで、人間の知らない厳しさを見せ、雪の古びた匂いを交えた、ただ深海のような圧力を持った匂いを嗅がせ、更にその静寂のうちにも亦た古風な階音を聴かせた。四季を通じて、雪の森は、その巨体を一番あからさまに見せつけ、太い骨と強靭な筋肉だけになって踞っていた。(「森の絵」より)


最初は一番展望のきく河原へ画架を立ててみたが、森と向かい合っていた時のような落ちつきもなかなか得られなかった。どんなに工夫をしてみても、賑やかな風物の微動と、絶え間のない川音の中では、腰を下ろしていることさえむずかしかった。(中略)最初のころは、それがひどく気まずいようで、さっさと小屋へ戻って、ただ訳もなくぐったりと疲れた体をやすませていた。(中略)川が異様な刺戟を与えたことも事実だった。(「川」より)


二三羽の小鳥が枝から枝へと、何かの続け文字でも書いて行くように渡って行った。そして最後には、いつでも決まって、悦びとも悲しみともつかない啼声を残して飛び立って行く。小鳥はいつも同じように歌っているものなら、きっと私の方に、悦びとも悲しみともつかない気持ちがあったのだろう。(「黒い牝牛」より)


寒気は、何回かの予告のあとの、鋭利な刃物のように天上から斜めに下った。雪は谷を埋めはじめた。そして豊かさを誇り、白さを誇るように、小さな凹地を埋め、そこここになめらかな斜面を作り、巧みに襀(ひだ)を描いた。滝は、孤独な死のように静かに凍結し、光と水のもつれたそこも、そそぎ込む雪にさからう努力もなく、結氷した。流れる姿は消え去った。その時になって、この谷を訪れる光が、太陽の忠実な使者であり、たくらみのない素朴な想いに似たものであることが分かった。(中略)雪の下に滝は凍って、冬の間、青味を帯びた別の静かなおののきがあるのかも知れない。眠りにも死にも似てはいるが、絶えず水をうけ、氷に蔽われている岩の内部の犇めくような力の意味を知らないものにとっては、それは語られない神話である。(「光と水の戯れ」より)


ところで、寂しさが誘い出されるというのは、この単調な風景の一体何のせいなのだろう。晴れ渡って、空に一つの雲もないせいなのか、それとも、あまり遠くひろがる海と空との接触が、信じられないほど穏やかであったからなのか。いずれにしても、この寂しさが、私の感情にからまったものでないことだけは、まず間違いないとしたら、それを振り棄てることは出来ないし、と言って、その奇妙な寂しさに気が付いてしまった以上は、今度はそれが恐怖を誘い出すかも知れないと思われて来るのだった。(「波」より)


訴えることがなければ、他人からあれこれと指摘される筈もないその息苦しさは、生涯のある時期にはやや激しくなって、そのあとは徐々に薄れていくものかとも思っていたが、彷徨する魂がいつまでも行く先を見定めることが出来なければ、消えて行くどころか、長い歩みのために却って重く苦しく、時には、そこから逸脱してしまう卑怯な手段を夢見るようにさえなるのが分かっていた。(「晩夏の丘」より)

2013/10/17

『カラマゾフの兄弟』フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(中山省三郎 訳/iBooks)


電子書籍で読んだ。
iPadは灯り要らずだから就寝時に読むのにいい。

有名なのに読んでいない(もしくは読んだかどうか忘れた)作品で、無料だったり安かったりするものを電子書籍で読んでいこうと思っている。

物語とは関係ないことだけれど、ある文字(「扉」や「拳」他いくつか)が特大になっているのは電子書籍だからなのだろうか?
とくにその文字を大きくする必要はないと思う場面でもその文字が大きくなっているので、作者の意図とは思えない。それに珍しい字というわけでもない。
どうしてなのだろう、と、ちょっと気になった。

さて、読んだ感想は、日本語訳に違和感があった、というのがいちばんの感想。
若者が「〜かえ?」なんて言わないよ、とか、意味合いの違和感だったり、なんか言葉使いがいちいち引っ掛かって読みにくかった。誤字も割と多かったし。

ながーーい台詞のなかの支離滅裂感も読みにくくさせる。
もちろんそのながーーい台詞の中には非常におもしろいものもあるのだが、読む気がなくなるものもある。

私はゾシマ長老の話や、次男イワンの宗教論が良かった。作者が言いたい本質がわかりやすく提示されている。
父親フョードルと長男ドミトリイの台詞は読みにくかった。

おもしろかったという部分が2/3、入って来ない部分が1/3、という感じだった。


共感した部分を抜粋引用。

首をふらふらと左右に振るようなあんばいに掌へ片頬を載せたまま、歌でもうたうように女は言った。その口調がまるで愚痴をこぼしているようであった。民衆のあいだには無言の、どこまでもしんぼう強い悲しみがある。それは自己の内部に潜んで、じっと黙っている悲しみである。しかし、また張ち切れてしまった悲しみがある。それはいったん涙と共に流れ出すと、その瞬間から愚痴っぽくなるものである。それはまことに女に多い。(p137-138)

「(前略)その人が言うには『わたしは人類を愛しているけれど、自分でもあさましいとは思いながら、一般人類を愛することが深ければ深いほど、個々の人間を愛することが少なくなる。空想の中では人類への奉仕ということについて、むしろ奇怪なほどの想念に達して、もうどうかして急に必要になったら、人類のためにほんとに十字架を背負いかねないほどの意気ごみなのだが、そのくせ、誰かと一つ部屋に二日といっしょに暮らすことができない。それは経験でわかっておる。相手がちょっとでも自分のそばへ近寄って来ると、すぐにその個性がこちらの自尊心や自由を圧迫する。それゆえ、わたしはわずか一昼夜のうちに、すぐれた人格者をすら憎みだしてしまうことができる。ある者は食事が長いからとて、またある者は鼻風邪を引いていて、ひっきりなしに鼻汁(はな)をかむからといって憎らしがる。つまりわたしは、他人がちょっとでも自分に触れると、たちまちその人の敵となるのだ。その代わり、個々の人間に対する憎悪が深くなるに従って、人類全体に対する愛はいよいよ熱烈になってくる』と、こういう話なのじゃ」(p168-169 ゾシマ長老の話より)

自由とパンとはいかなる人間にとっても、両立しがたいことを、彼らはみずから悟るだろう。(p831 イワンがアリョーシャへ語る物語より)

もう十五世紀も過ぎたのだから、よく人間を観察するがよい。あんなやつらをおまえは自分と同じ高さまで引き上げたのだ。わしは誓って言うが、人間はおまえの考えたより、はるかに弱くて卑劣なものなのだ!いったいおまえのしたことと同じことが人間にできると思うのか?あんなに人間を尊敬したためにかえっておまえの行為は彼らに対して同情のないものになってしまったのだ。それはおまえがあまりにも多くのものを彼らに要求したからである。これが人間を自分の身より以上に、愛した、おまえのなすべきことといえるだろうか?もしおまえがあれほど彼らを尊敬さえしなかったら、あれほど多くのものを要求もしなかったろう。そしてこのほうがはるかに愛に近かったに違いない。つまり人間の負担も軽くて済んだわけだ。人間というものは弱くて卑しいものだ。(p839-840 イワンがアリョーシャへ語る物語、老審問官がキリストへ語る場面より: この、イワンの語る部分が、いちばんおもしろかったという印象)

2013/10/14

Romeo & Juliet

Romeo & Juliet by Max Von Gumppenberg & Patrick Bienert
for Harper's Bazaar UK

F8 paper, Watercolor, Pecil 

2013/10/11

『ホテルローヤル』桜木紫乃(集英社)





『氷平線』が良かったので、直木賞をとった『ホテルローヤル』を読んでみた。
眠るために読み始めたのだが、結局眠りにつく前に読み終えてしまった。

おもしろかったけど私は『氷平線』の方が好きだ。
題名の通り『氷平線』の方は氷のように冷たく、『ホテルローヤル』はラブホテルらしく生きている熱がある。
熱があるとはいえ『氷平線』を書く桜木さんらしく、「負」や「腐」と呼ばれるような冷ややかなものも織り込まれている。

ホテルローヤルをめぐる7つの短篇。
廃墟となったホテルローヤルから開業前のホテルローヤルへと遡ってゆく作りはおもしろい。
それぞれの話が最後の話につながっていたり、所々でそれぞれの人間の生が重なるようにしているのもいい。
そしてどの話もよくできていてどれもおもしろい。

<輝く未来を夢見る男、これから建てるホテルローヤル、出産祈願にみかんを与える>という最終話と、<挫折という言葉ばかりを発する男、廃墟となったホテルローヤル、ヌードを撮るために食を絶たせる>という最初の話、というように尾頭を対極させるという形が非常に効いている。

廃墟から竣工前というとどんどんと明るくなっていくように思われるが、私は却ってそれが虚しさを際立たせているように感じた。
未来を夢見ている男が哀れに思え、明るい将来を期待する姿が滑稽にさえ思える。
人間の一生などというものは所詮そんなものだと思い出させる。
それでも人は一生懸命自分の人生を生き、夢を見る。

いつかは朽ち果ててしまうということ、人は老いてゆくということ、そしてかならず死ぬということ、そういうことが露にされているように感じた。
そして、物が朽ち人は死んでも時間は流れ続けていくということも。

『平家物語』の冒頭や『方丈記』の冒頭を思い出す。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

この本のことを後々考えているとどうしても古の日本の侘び寂びや無常観を思ってしまう。

生まれること、生きること(生活と労働)、男と女のこと、家族、親子、そして死。
全てのことがこの1冊に詰め込まれている。
本当によく出来た本だと思う。

2013/10/09

石榴



高見順さんの『赤い実』という詩と、石榴の絵。

2013/10/03

姪のちーちゃんは生後6ヶ月になりました





1/2バースデイを迎えたちーちゃんは、赤ちゃんから子供になってきた気がします。
寝返りもうつし、離乳食も始める頃だし、動きが大きくなってきました。
直にハイハイをするようになったり歯が生えて来たりしそうな感じがします。事実私の指をはみはみすると歯茎の奥に歯があるのが分かり、かゆいのかも知れないなと思ったりしました。
妹の小さい時によく似ている、と思います。