夏目漱石もほとんど読んでいなかったから無料のiBooksで読むことにする。
そういう話だったのか、夏目漱石ってやっぱり読みやすいしおもしろいな、と思った。
若い頃の私は夏目漱石は健全な感じがして敬遠して、ちょっと暗い感じの太宰や三島の方に傾倒していた。
夏目漱石はあたたかな太陽のような、日だまりの若草の匂いのするような作品というイメージをもっていた。私は太陽よりは月を、若草よりは枯葉を好いていたからこれまでずっと読む機会がなかった。
今回読んでみて思っていたのとはちょっと違った。
まず文章表現がいいなと思った。穏やかできれいだと思った。
それに、若草の匂いはあるもののそこには漆黒の空に浮かぶ月のようにひっそりとした冷たい輝きもあった。
人のこころの深いところをじとっとした暗さを持たせずに描いているところが本当に素晴しいと思った。
親族や友人や異性という他の人と関わるということで生まれる苦しみや煩悶、他人と関わることで己が見え、その自分自身を見詰めて生きてゆくこと、そういうことをどんよりとした印象で描かない夏目漱石というのは天才だと思う。
作品の構成も今読んでも秀逸だし、内容も今読んでも共感できる。若年から中年まで読める作品だと思う。
「先生」という登場人物の名前の付け方にもセンスを感じる。
終り方も、もっと読みたいという、どうなるんだろうとまだ先を期待する読者を裏切るように終るところにもセンスを感じる。
色々なところで本当にうまいなぁと思った。
先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。(p57より)
私は人間を果敢(はか)ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生まれた軽薄を、果敢ないものに観じた。(p151より)