読みやすくておもしろくてあっという間に読み切ってしまった。
山田稔がコーマルタン界隈に住んでいた時の話が数篇収められている。エッセイというよりは短編小説に近いと思った。
作家自身が書いていてもそのような主人公がいるという感じの文章で、感情も主観と客観の中間くらいな感じがした。
作家以外の登場人物がどの人物も興味深い人たちで、その人たちと関わる作家の心情もとても共感できる。
10年以上も前に私もパリに少しだけ滞在したことがある。だから読んでいてとても懐かしい気分になった。その頃に買った地図を引っ張り出してきてみたりもした。
私はパリ12区、ナシオン広場からセーヌ川へ伸びるディドゥロ通りのサン=タントワーヌ病院から少し入ったコルブラ通りにある小さなホテルに泊まっていた。
どうしてそのホテルに泊まることになったのかはよく覚えていない。たぶん一人旅同士で仲良くなった誰かに教えてもらったのだと思う。ルーブル美術館で何人かと合流した時には、安上がりで行って良かった場所としてポルトガルのファーロを教えてもらって実際にファーロにも長いこと滞在したくらいだから、きっと誰かに教えてもらったのだろう。
そのホテルの主人は北アフリカ系の(もしかしたらインド系も少し混じっていたかもしれない)フランス人だった。
よく言われることだがフランス人はフランス語以外あまり話さない。英語で問いかけても知らんぷりされてしまう。しかしその主人は本当にフランス語しか喋れないようだった。私は大学の時にフランス語を履修していたけれど、全くといっていいほど役に立たない程度だった。それでもなぜか主人は私のことを甚く気に入ってくれて、顔を合わせる度に満面の笑みを浮かべて「Sachi! Sachi!」と話しかけてきてくれた。
朝食も何度かご馳走になった。夕食も一度か二度ご馳走になった。
朝食はいつもクロワッサンにたっぷりのバターとジャムをサンドしたもの。ひとつで十分に胃もたれしそうなものなのに、もっと食べろもっと食べろと主人はいくつも勧めてくれた。もちろん他のこれまた甘そうなデニッシュも。
私を部屋に招いた時には主人はもう食べ終えたのか自分は食べずに、私が食べるのを笑顔で見ていた。主人の笑顔と好意を踏みにじるのがイヤで、私は胃がはちきれそうになるまで食べた。
主人に見つかるとたらふく食べさせられてしまうので、最初のご馳走の後から、主人に見つからないように近所のパン屋でバゲットと出店のフルーツを買いに行っていた。
見つかったら最後、笑顔に負けて部屋に連れ込まれてしまう。時々玄関で見つかって、それで何度もご馳走になってしまったのだ。
いくら喋れないとはいえ、文字は書ける。それに簡単ないくつかの単語とか短いセンテンスくらいなら分かる。それなのに主人が話すとそれはフランス語には私には聞こえず、私の言っていることも分かっていないようだった。
会話ができないと困ることも多い。それならば、と、私はスケッチブックに絵を書いてみた。たとえば、もう満腹だとか朝8時に起こしてくれとか。すると主人は大きく何度も頷いて「わかった」というような素振りをした。やっぱり絵は世界共通だと思って安心していたのに、結局朝は起こしてくれないし、食事も勧めてくる。それで私はもうすっかり諦めて、お互いに違う言語を喋りジェスチャーと絵とを交えて、会話になっていない会話で主人との時間を過ごした。
ポルトガルかドイツかイギリスか、とにかくどこかへ出かけていてパリに戻って来た時、飛行機の遅れでシャルル・ド・ゴール空港に到着した時にはもうすっかり深夜だったことがあった。私はグランドホステスにお願いをして主人に電話をかけてもらった。主人はフランス語しか分からないのでフランス語で「Sachiが今から行く」と言って欲しい、と。すると私の話すフランス語や書いたフランス語は分かっていないようなのに、グランドホステスの伝言はちゃんと伝わったらしく、部屋はあるから勝手に入って来いと言う。私は夜にカフェへ出かけたりしていたから、以前に主人からホテルの暗証番号を教えてもらっていた。
ホテルに着いて中へ入ると、主人はまるで映画のコメディのような、カラフルなパジャマにナイトキャップという恰好で出迎えてくれた。
いつでも優しく笑顔だった、名前もわからぬホテルの主人。
パリを離れる時、またいつでも来いというような仕草をしてくれたのに、それから一度もパリに行っていない。
今でも元気でいるだろうか。今も一人旅の外国人の女の子に朝食をご馳走しているだろうか。
いつかパリへ行ったら、主人が私を覚えていなくても、私は主人のホテルに泊まりにいってみたい。