2011/11/29
Maori's Exhibition @中目黒
もっと早くブログを書けばよかったのに、もう明日で終わるって時に書いてます。
先週の金曜から中目黒のさくらギャラリー(目立つ大きい方のではなく)でお友達のMaoriちゃんが個展をやっています。
maori web site → http://maori-tone.com/
私は前日からお手伝いをさせてもらっています。
毎日ギャラリーにいて、沢山の人に会ってとっても楽しくしています。
Maoriちゃんと同じように写真をやっている人や、私と同じように絵を描く人もいて、そういう人と話すと刺激になります。
それに大好きなMaoriちゃんの写真に囲まれていい気分です。
ミモザの写真を使ったブローチと片耳ピアス(写真)と、旦那さんに東京タワーの写真のタイピンと、大きな写真のパネルを買いました。
今日は写真の片耳ピアスをしていたら同じものがいいと言って買われた方がいて嬉しくなります。
ブローチとタイピンは個展終了後に作るのでまだ写真がないのだけど、パネルは明日うちにやってきます。
壁に蔦が這っていてそこに赤い葉が印象的な写真で、うちのコンクリートの壁(もしくは真っ白の壁)に合いそうなので楽しみ。
2011/11/26
田中小実昌『ポロポロ』『香具師の旅』(河出文庫)
話の内容、つまり物語という点では『香具師の旅』の方がおもしろい(と私は思う)。
『ポロポロ』は最初の『ポロポロ』以外は戦争に言った時の話。物語としては戦争体験記。
だけど、ただの戦争体験記ではなく作者の視点が独特で、文調も独特で、好きな人は好きだし、こういうのこそ文學だ!という人もいると思う。
私はそういうのとは別で、後半の、<物語>というものについての持論はすごくおもしろいと思った。文章が<物語>にならないように、と意識して書いている。あるものをあるがままに、出来事を出来事として、<物語>にはしたくないんだと言いながら物語を書いている。そういう矛盾撞着的なところが興味深かった。
::::: 余談 :::::
先日、法事で実家に帰った時、私は『香具師の旅』を持っていて、それを見つけた叔父が「田中小実昌なんて読んでるのか! 今時、田中小実昌を知ってるやつなんているのか?」と、なぜか大ウケされた。
叔父は私が案外もういい年だってことを忘れているのかも知れない。
叔父の年代(叔父は見た目が40そこそこだからいつも年齢が分からなくなるのだが、たぶん55歳くらい)では、田中小実昌さんは誰でも知っている有名人だったみたいだ。 叔父の持つ田中小実昌イメージと、私が持つ田中小実昌イメージとはまるで違う。
叔父のイメージは11PMに出てた田中小実昌で、私のイメージは野見山暁治さんの義理の弟、風変わりな、俗っぽいのだけれどそれを極めた感じのする物書きとしての田中小実昌。
それぞれが持つイメージの相違ということについて不思議だなぁと思った。色々なことをぼんやり思った。私はぼんやりと思っただけだけど、ぼんやりじゃなくて掘り下げてもおもしろそうだ。
それぞれが持つイメージの相違ということについて不思議だなぁと思った。色々なことをぼんやり思った。私はぼんやりと思っただけだけど、ぼんやりじゃなくて掘り下げてもおもしろそうだ。
2011/11/17
野見山暁治『うつろうかたち』(平凡社)
この間書き忘れていたが、野見山さんは田中小実昌さんの義兄である。
だから野見山さんのエッセイには「コミちゃん」として田中小実昌さんがわりと頻繁に登場する。
かなり前から田中小実昌さんの本を読みたいとは思っていて近所の古本屋などに立ち寄る時は探してみるのだが見当たらず未だに読んでいない。そんな状況でエッセイの中で「コミちゃん」に何度も会っていると、やっぱりどうしてもコミちゃんを読んでみたくなってしまってネットで買ってしまった。
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先に読んだ『四百字のデッサン』は1960〜70年代に書かれたもので、『うつろうかたち』は2003年刊行。
だから『うつろうかたち』を読んで感じたのは、文章が作家風になったなぁというところだ。
でも私はそういうのより気取らない文章の方がいいなと思う。小洒落た文章はどことなくニセモノっぽく響く。
そんな中で、講演をもとに起稿された第三章がいちばん良かった。
野見山さんの画家としてのリアルな声があって興味深かった。
2011/11/08
野見山暁治『四百字のデッサン』(河出書房新社)
野見山暁治 ( のみやま ぎょうじ ) さんのことは、洲之内徹さんの『気まぐれ美術館』で知った。
しかし実は、ずいぶん前に上田市にある無言館という野見山さんと関わりの深い美術館には行ったことがある。
無言館は信濃デッサン館の分館として1997年に開館。第二次世界大戦中に志半ばで亡くなった画学生たちの作品や遺品が展示されている。館長は窪島誠一郎氏。野見山さんは窪島さんと一緒に設立に携わった人であり、作品収集に尽力をつくした画家である。
それなのに、私はつい最近まで野見山さんを知らなかった。誰が館長でどんな人がどんな風にして美術館をつくったのかということにその頃の私はまるで興味がなかったのだ。おそらく名前は目にしていたと思うが覚えられなかった。
野見山さんや窪島さんのことはその時記憶に残らなかったが、美術館を訪れて感じたことは今でもよく覚えている。
まず、建物に存在感があった。小高い丘というか小さな山の頂にそれは在り、何と言えばいいか、そこだけ空気の流れや時の流れが違うような佇まいで、そこには小さな独立した世界があった。
私は青のような静けさと、黄昏のような橙を感じた。不思議と炎のような赤は少しも感じなかった。
無言館へ行った時、私と両親以外は誰もいなかったような気がする。そのせいか名前に相応しく本当に閑寂(しん)としていた。
私はそこにいることがひどくしんどかった。気が重苦しくなった。作品が重いというのでも、若くして戦争で死んだ人たちの遺品があるからというのでもなかった。しんどさは無言館自体が生き物のように感じたことからやってきていた。無言館という生き物に食われて、まるでその腹の中に居るような心地悪さを感じたのである。
私の耳の後ろでひそひそと何かが囁く声が聞こえ、右腕と左腕は誰かがひたりと寄り添っているような気配がした。だから絵を見ることに集中できなかった。また来たいとは思わなかったし、事実その1回しか行っていない。
『四百字のデッサン』はエッセイ集である。画家や有名な人たちとの交流を書いた「ひとびと」というカテゴリーと、日々の思ったり感じたりしたことを書いた「うわの空」というカテゴリーの2種類からなっている。
野見山さんのエカキとしての自身の在り方やパリでの暮らしが書かれていて面白く読めた。戦後の日本の暮らしぶりも面白かった。
中でも私は「ひとびと」の冒頭エッセイ『戦争画とその後 ── 藤田嗣治』が良かった。
藤田嗣治の『アッツ島玉砕』、洲之内さんはこの絵について
「藤田嗣治の最高傑作。あんな絵を描いてしまったらその後もう何も描けっこないよ」というようなことを言っていた。
野見山さんの話にもこの絵のことが出てくる。戦争画を描かなくてはいけない時代に描かれたこの絵はまるで逆の反戦画に見えると言っている。
野見山さんの話は、これまで知っていた藤田嗣治とはまるで違う普通の人間の部分の藤田嗣治が書かれていてとても興味深かった。
2011/11/03
妹の写真
これは私がウェディングドレスを着た日の妹。
私と妹が小さい頃にお世話になったご近所さんの会心の一枚。
小田和正さんの「言葉にできない」が流れてきそう。
こちらは妹の結婚式の日に控え室で私が撮った一枚。
妹は私が撮ると表情がいい(と、自画自賛)。
2011/11/02
今週の切り花:ダイアモンドリリー
最近ずっと切り花の写真をUPしてませんでした。
今飾っているのは秋に咲く「ネリネ」という花の園芸品種「ダイアモンドリリー」。
発色の良いピンク色(こんな色の花があるなんて!と思わず買ってしまうくらい目立つ色で)、表面はキラキラとしたラメのような光沢があります。
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