2012/01/13

庄野英二『ロッテルダムの灯』(講談社文庫)





庄野潤三に兄がいて、彼も作家だと知って読んでみたかった。

この本は主に戦争の頃の話の短いエッセイである。
いちばん最後に収められている『短い手紙』は、戦争をモチーフにした童話という感じだ。
どの話も教科書に載っていてもおかしくない。

そんな風な戦争ものだから、よくある戦争の話とは全く違う。
庄野英二さんの戦争にまつわるお話たちはどれも美しい。
美しく芳しい色とりどりの花や、天を仰ぐような樹木などといった自然が沢山出てくるせいかもしれない。

庄野英二さんの文章は、彼自身が描いた挿画の絵に似ていると思う。その絵はそれぞれのエッセイの最初にちょこんと在る。
ペンで描かれた様々な物の絵は、飾らず素朴で温かみがある。そして控えめで出しゃばらないのにきちっと存在感を持っている。

私が『ロッテルダムの灯』から受けるイメージは、明るい色で描かれた水彩画だ。
南方の舞台が多く色彩は派手であるはずなのに、なぜか水彩画が思い浮かぶ。日本人としての目というものが影響しているのだろう。
空の薄い天色、紺碧の海、草の翡翠色や若竹色、菜の花色の道、金赤の太陽。
首飾りにされるサンパギータ(茉莉花、ジャスミンの別名)の白、オランダ人が身に付けたマリーゴールドの橙。
山盛りにされた大輪の菊、バラ、グラジオラス、ダリア、ガーベラ、夜来香、くちなし、あらせいとう等々の色鮮やかな花たちが美しい水彩画となる。
しかしその美しさは、美しいがゆえにどこか悲しみを感じさせる。


この本には南方の話が出てくるから祖父の話を思い出さずにはいられなかった。
祖父は93歳で今も元気である。祖父は有名なレイテ島へも行っている。
『長い航海』という話の中で、船が沈没したのだが筏に乗って生き延びた男が出てくる。
私の祖父もまったく同じような体験をしているので驚いた。
本の中に出てくる筏はアメリカ製の舶来品で押収品であり鋼鉄で8畳ほどもある立派なものだが、祖父たちのは板を繋ぎ縛っただけの筏とは呼べないような代物だった。

祖父は5艘の船に乗ってそのうちの4艘が沈没している。
それでも生き延びたのだから祖父は強運の持ち主なのだと思うが、その4回のうちの1回の際、祖父は「もう死んでしまうな」と思ったのだという。真っ暗闇の夜の海に放り出されて海底へ沈んでいきながらそう思ったそうだ。
しかし、祖父は出航前に易者に言われた言葉を突然思い出すのである。
「あんたは長生きするよ」
その瞬間、祖父は腕を掻いた。上に向かって足で水を蹴った。
そうして祖父は生きることができたのである。
朝になってみると祖父たちがいたのは重油の海だったそうだ。
とにかく筏のような物を作ろう。浮いている使えそうなものを集め、遠くに浮かんでいるハンモックを泳いで取りに行かせてハンモックを解体して紐にした。その紐で板などをバラバラにならないように固定して筏にしたのだ。
片足を失った者もいた。その血に寄せられてなのか筏の周りにはフカ(鮫)が沢山いて、恐ろしくて恐ろしくてたまらなかったと祖父は言う。フカを避けようと皆が筏に乗る。すると筏は重みで沈んでしまんだよ。祖父は笑いながらそう言っていた。

という話を思い出した。
フカに誰かが襲われたというようなことは祖父から聞いていないから、その後皆無事に救出してもらえたのだろう。