2013/05/15

『わたしがいなかった街で』柴崎友香(新潮社)


村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだので、同じようなかんじを連想させる『わたしがいなかった街で』を手にとってみた。

はじめの1/3くらいまで、微妙だなぁと思いながら読んでいた。
おもしろくないのではなくて、人物像の紹介にあたるような部分や主題の前振りにしたいのであろう部分やその他いろいろがわんさか錯列していて、うまく入っていけなかった(女性作家が久しぶりだったし、村上春樹さんの後だったから馴染めなかっただけかもしれない)。

半分過ぎくらいから、主人公の考える『自分が居ない時と場所について → 自分の存在について』という部分が出てくるようになって多少読みやすくなった。
しかし、この主題は書くならもっと深く書いて欲しいというか、やっぱり微妙に消化不良感が残った。
私には無駄だと思えてしまうところが多分にあり、そのせいで主題がぼやけてしまっているようにも感じた。なんとなく勿体なく思った。

部分部分ですっきりしっくりくる考えやいいなと思う文章もあったのだけど、ずっと足踏みをしているような物語が進まない感じとか、主人公の言動とか、色々なちょっとしたところにモヤモヤした気分が残った。


戦争のドキュメンタリーばかりを見る主人公。戦争という分かりやすいモチーフを掲げて、生きていること、死、存在、時間、場所などに視線を向ける。
繰り返される戦争。何故そこで死んでいる人が自分でないのか。生と死を決めるちょっとした偶然。偶然によってもたらされた自分。

すっかり丸々と共感はできないけれど、感じはわかった。
目の前の社会とすっかり馴染めない感じ、それゆえ自分の存在や居場所が明確でなくなる感じ、世界で起きている事やマスメディアによって知らされる出来事の非現実的なリアルでない感じ(またはその出来事に対する距離感)、そういうのはすごくよくわかる。

93ページから97ページのところがすごく良かった。この感じが全体を通して続いてたら良かったのにと思う。私は勝手にこの5ページが核だと思っている。




主人公はどことなく自分に似ているところがあった。
億劫がるところ、人混みや渋滞や待つことが嫌いなところ、人と話すのが疲れるところ、脳内会議ばかりしているところ、友人にメールを出すのに1週間もかかってしまうところ、貧血で倒れるところetc...。
しかし似ているところはあっても、ビビビと共感するところはなかった。
それはきっとその人をつくる根っこの部分が全く違うからだと思う。

女性作家の人って割とクールな主人公を書く人が多いような気がする。私からみると強い女性が主人公になっていることが多いような気がする(そんなに多くの人を読んでいないけど)。
私自身は誰かに寄りかかって甘えて好きな人に一途になって、愛する人に愛されていたらそれだけで何も要らないみたいな女だから、女性作家の書く女性はみんな強くて現実的に思えない。
男性作家の方が女々しい感じの、色彩に富んだ、情緒溢れる文章が多いような気がする。そしてそういう方が私はやっぱり好きだと思った。