場所は奥州白河。白河と聞いて浮かぶのは白河の関くらいのもので、予備知識もほとんどない状態。
というわけでとりあえず白河の関へ。
白河関跡で説明書きを読んでみると、古くから『白河の関』というものがあったということは分かっていたが場所の特定には至っていなかったのを、白河藩主松平定信が調査を命じて1800年にこの場所と断定したらしい。
この場所からは土器や書簡なども出土しているのだそうで。
この近くでは夏には蛍が見られたり、4月にはカタクリの花が咲いたりもするそう。
芭蕉も通ってるということで、隣の自然公園には芭蕉と曽良の小さな像もあったり。
まぁ、とにかく、白河といえば 松平定信なのだと、そしてそれは今も残っているのだと、勉強しました。
近くには南湖という湖があってこれまた松平定信。こちらは茶人楽翁としての松平定信。
白河小峰城ももちろん松平。初代白河藩主丹羽から、七家二十一代が居城。会津が近いのに白河に丹羽、本多、阿部、松平という有力どころを措くって、徳川幕府のどんな意図なのか無学の私は分からないのだけど、きっと何かあるんだろうなぁ。伊達牽制ってことだけじゃないだろうし。
さらには白河は蕎麦が有名らしく、これもまた松平定信が推奨したこと。このおかげで白河藩は天明の大飢饉で唯一餓死者を出さなかったのかしら?
関跡にあった老大木。すごいことになってます |