2011/01/18

『大聖堂』レイモンド・カーヴァー(村上春樹訳/中央公論社)


『大聖堂』は『愛について語るときに我々の語ること』より後の短編集で、『愛について〜』に含まれている作品のリライトされたロングバージョンを読むことができる。全体的に長めの短編で、私にはこちらの方が読みやすかった。

村上春樹氏も言っているが、こちらには「救い」がちゃんと用意されている。
私は、自分の作品が救いのない打ち拉がれたものが多いくせに「救い」のある作品が好きだ。
登場人物がみんないい人で、理不尽や宿命や最悪の出来事にも負けず、希望がかすかに顔を覗かせる、そういうのが好きだ。
だってそういうことを信じていなければ今の今だって私は生きていられない。

この先に何かいいことが素晴しい出来事が起こらなくても構わない。ただの変哲もない日常でいい。それはそれでとても幸せなこと。
カーヴァーの作品はそういう普通の人たちの普通の生活に起きるちょっとしたことだったり人生を左右する瞬間だったりが描かれている。
だから、最悪の事態のど真ん中にほっぽり投げられたまま物語が終わるのはちょっと居心地が悪い。

村上春樹氏の言葉を借りれば、
「ぽんと放り出してそれでおしまい」的なシュールレアレスティックなアグレッシブネス薄れ(それを求めてカーヴァーの小説を読む読者ももちろんいらっしゃるだろうが)、登場人物に対する温かく優しい視線が強く感じられるようになってくる。それにつれて作品も深みと説得力を増している。

私はとくに『羽根』『ささやかだけれど、役にたつこと』『ぼくが電話をかけている場所』『熱』『大聖堂』が良かった。