2011/07/06

『気まぐれ美術館』洲之内徹(新潮文庫)





あとがき、ということではなく より

 「美術手帖」のベテラン記者の上甲みどりさんが
 「美術のことで、立ち読みで読めるもの書けるって、たいしたことよ」
 と言ってくれた。おそらくその辺が、私とこの本の唯一の取柄だろう。

まさにその通りなのが「気まぐれ美術館」である。
美術のことに詳しくなくても(私だって全然詳しくない。本に出てくる画家の半分は知らなかったりする)
さらさらと興味深く読めると思う。
画家自身やその作品の良さを語っている部分の文章がとにかく素晴しい。
洲之内さんの感覚の素晴しさに感銘を受ける、本当にいい本である。


あとがきの『さらば「気まぐれ美術館」』で白州正子さんがこう書いている。

 ”洲之内さんの文章はかならずしも最初から読む必要はなく、任意にめくったページから読み始めても、何の抵抗もなく入って行ける。辻褄を合わせることはいやだと、どこかでいっていたのを覚えているが、起承転結なんてことは考えてみたこともないらしい。”

そんな文章だから、私は、
気になるところを読み返したり、飛ばし読みしたり、ぱらぱらときまぐれに適当なところを読み返したりする。

以前にも日記に書いたが、私は「気まぐれ美術館」を読むと無性に絵が描きたくなる。
と、同時に、ここに出てくる素晴しい画家の足許にも及ばない自分に落ち込みもする。
それでも、落ち込んでも、洲之内さんの言葉は本物の私の本物の心に突き刺さって、
私を本当の私の姿に戻して真摯に絵に向かわせてくれる。


いいものは匂うのだと洲之内さんは言う。目でなく鼻でわかると言う。
私は鼻では分からないが、でも言っていることは分かる。
絵ってそういうものだ。理屈じゃない。
いいものはいいのだ。

洲之内さんのいくつもの心眼の言葉を肝に銘じて、私は本当の私に戻って
真っ直ぐ絵に向かいたい。