『霧のなかの声』と『蜃気楼』は小説で、残りは随筆。
手元にある未読本が品薄になってきて、読み残しておいた島村さんをとうとう読んでしまった。
やっぱり島村さんの文章はいい。好き。
2篇の小説はおもしろかった。
『霧のなかの声』は家族の話で、息子の視線と父の目線が語られる。
『残菊抄』の感想の時に私はこう書いた。
「綺麗事もドラマ的なこともない。悲惨なものは悲惨なまま、死にゆくものは死に、奇跡なんて起らない。人間の内に秘めた温かい感情が相手にうまく伝わるなんてこともない。」
これと同じようなところがある。読み終わったとき、遣る瀬ないような重いものが胸に残る。
『蜃気楼』の方はいつもの島村さんとは少し違って、眼の色が変わる女性とそれを信奉する男の話。
とはいえ島村さんだからファンタジーでもなければ奇想天外というのでもなく、やっぱりどこか深い沼の冷たい水のような感じがある。
随筆の方ではとくに『くちなわ幻想』と『青い雉』が印象に残った。
随筆の方は内容が突出してどうこうというのではなくて、文章自体が内容みたいなもので、内容云々よりもやはり全体の文章が良かったという感じになる。
女達は湯のなかで手足をゆっくりのばし、お喋りをしながら湯だった。母や直子の軀も白くひかり、杉村は女たちのなかで眩しい感じがした。そして、白い軀の立居に、庭の蛇の腹鱗のくねりをふと連想したりした。(『くちなわ幻想』より)
たとえば上記引用文。島村さんの文章には景色が見える。澄んだ空気がある。温泉の湯けむりや泉質、人や自然の声や音を感じる。白い肌と蛇の連想がほんとうにぴたりとする。
人も自然も美しく優しく柔らかく私の中に入ってくる。