2016/06/13

映画『青の炎』



蜷川幸雄監督作品『青の炎』を観ました。

10代の自分を、若い時にしかないまっすぐさを思い出しました。
若さゆえの狂気、若さゆえの憤り、若さゆえの正義、そういうものたち。
私も若い頃はそうだったのに、いつの間にか失われてしまいました。

内容は予測できているのに、最初から最後まで悲しかったです。
蜷川さんの画の見せ方と、二宮和也くんの素晴しい演技が切なくさせるのです。
ラストの、とある画に、胸を抉られて、あまりにも苦しくて精神安定剤を服用しました。
一晩経ってもその画は脳裏に焼き付いて離れず苦しいです。


私はニノの演技力をとてもかっています。彼が演じると本当にその人物が存在するような気がします。彼の存在感と『普通の子っぽさ』はアクターとしてものすごい武器だと思います。
彼が主演でなかったらこれほど良い映画にならなかったと思います。
普通さと異常さ、狂気とやさしさ、正義と不義、憎悪と愛情、相反する感情も見事に演じていて素晴らしかったです。

2016/06/04

玉置保巳『リプラールの春』(編集工房ノア)



山田稔さんや天野忠さんや庄野英二さんみたいな感じの文章でとても読みやすかった。前半に収められているヨーロッパ滞在記は私のヨーロッパ旅の場所と似ていてとても面白く読めた。

2016/05/17

目取真俊『虹の鳥』(影書房)



深夜に読みはじめ、内容の過激さに気持ち悪くなって夜が明けるまで眠れなくなった。
今まで読んだ本の中で最も残虐で暴力的だった。身の毛がよだち、血の気が引いて、読めないところが多かった。すごい作品。衝撃的な本だった。

2016/05/16

大田治子『手記』(新潮社/1967年)



興味深く一気に読んでしまった。母静子との暮らしが知れて良かった。父である太宰治のこと、その死について、自分が愛人の子供であること、治子がどんな風に考えていたか分かってとても興味深かった。

木山捷平『続編 日本の旅あちこち』(講談社文庫)

満州ものの方がサクサク読めたけれど、これはこれでそれなりに面白かった。

2016/05/15

木山捷平『長春五馬路』(講談社文庫)


これは、先に読んだ『大陸の細道』の続編のようなもの。
こちらはどんな状況でも生きていく様々な女性たちをメインに戦後の長春の生活を描いている。
引き上げ後の『苦いお茶』も読んでみたくなった。

2016/05/02

木山捷平『大陸の細道』(講談社文庫)

あっという間に読んでしまった。とても面白かった。続きとなる作品も読んでみたい。

2016/05/01

獅子文六『てんやわんや』(ちくま文庫)

ずっと読みそびれていた獅子文六さんをようやく読むことができました。
噂通り面白かったです。
主人公の性格がそのまま作品のテンポになっている感じで、この主人公の考えや行動がいちいち面白いのです。クスッとするような面白味というか、「こういう人っているよなぁ、分かる分かる!」という面白味があります。
THE娯楽という感じで本当に楽しく読めました。

主人公とその周りのキャラの濃い人々、舞台が愛媛というとちょっと『坊ちゃん』を思い出します。わざと『坊ちゃん』を思い出させるように書いたのではないかと思いました。『坊ちゃん』のコメディ。真っ直ぐでやんちゃな坊ちゃんに対し、こわがりで逃げ腰で長いものに巻かれて火中の栗は絶対に拾わない犬丸潤吉。『坊ちゃん』も主人公坊ちゃんの性格がそのまま作品となっているし、この作品が新聞小説ということもあって漱石を意識したのかなぁ、なんて思いました。

最後に掲載されている、獅子文六さんが書いた「【付録】てんやわんやの話」を読むと、獅子文六さん自身がとっても面白い人なんだなぁと分かります。目のつけどころや感じ方が多分今でいう芸人さんに近いような気がします。

装幀のイラストも好きです。ゆるっとしていて作品に合っていると思うし、こういう表紙なら若い人も手にとりやすいように感じます。

てんやわんやという言葉はこの本で改めて広まったそうです。びっくり。

2016/04/07

スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』(柴田元幸訳/白水社)

読み終えてしまった。。。
エリクソンの小説はどれも面白くて、いつも終ってしまうのを惜しんでなるべく少しずつ読む。後半なんてちびちびと読み進める。
だから、まず読了後に思ったのは「あぁ、終ってしまった」というがっかりと寂しさ。
このエリクソンもとっても良かった。すごく面白かった。
映画を観ているように読むことができたし、映画のような面白さがある小説だった。

やっぱり柴田元幸さんは翻訳が巧いよなぁと改めて思った。柴田さんが翻訳しているからエリクソンは面白いのではないかと思う。
アンジェラ・カーターの『花火』を読んでいた途中でこの『ゼロヴィル』に移ったから尚更そう思った。
知らない作家や作品が柴田さんの翻訳だったら読んでみようと思えるほど私は柴田さんも好き。


物語は映画を中心とした話。
『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーを剃った頭に刺青した主人公ヴィカー(Vikar)。映画に取り憑かれた映画自閉症の彼の物語。
ヴィカーとは対照的に私は全く映画に疎いけれど、何の問題もなく読むことができた。
私は『陽のあたる場所』すら観たことがないし、作中に出て来る数々の映画のうち『ある愛の詩』くらいしか観たことがないけれど、そして俳優や女優にも疎いけれど、面白く読むことができた。いつもと同じようにエリクソンの世界にすっかり呑み込まれた。

『ゼロヴィル』は、エンターテインメント性が高く、『Xのアーチ』に比べたらずっと軽やかで明るい。エリクソンの他の小説と比べて光を感じる小説だった。
エリクソンの他の小説を思い出そうとすると私の頭の中に浮ぶ画はどれも夜。けれども『ゼロヴィル』は暗闇ではなく、夜明けの白い画が浮んでくる。
シーンとしては夜や暗闇の方が多いし、内容はやっぱりいつものように現実と現実ではない世界が複雑に絡み合って、芯は深く重く、ハッピーとは言えない。現実にはあり得ない物語的な小説なのに、あまりにも現実的過ぎる。私は哀しみを感じたし、切ない気持ちにもなった。
それでも、読み終えてこの小説のことを思う時は朝の白い感じや薄い水色の空の画が浮ぶ。

兎にも角にも、とても面白い小説だった。
『陽のあたる場所』と『裁かるゝジャンヌ』くらいは観ようと思った(苦笑)



余談だけれど、読み初め、ふと「村上春樹さんが書きそうだな」と思ったりした。若かりし日の村上さんが若い頃の情熱で今の熟練さを持って書いたらこんな感じのものを書きそうだな、と。『ゼロヴィル』の特殊な断章形式だったり主人公ヴィカーのキャラクターだったりがそう思わせたのかも知れないし、村上さんの語りが翻訳小説風だからそう思ったのかも知れない。しかし読んでいくとやっぱりエリクソンでなければ書けない、エリクソンの世界があって、どうして村上さんを思い出したりしたのだろう?と不思議になるのだけど。



2016/03/20

スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』(柴田元幸訳/集英社文庫)



とてもおもしろかった。
私は『黒い時計の旅』を読んでエリクソンファンになったのだが、これを読んで『黒い時計の旅』を再読したくなった。『黒い時計の旅』の次に書かれた作品だから、どこかふたつは似ていて、これぞまさにエリクソンという作品だと思う。
全ての作品を読んだわけではないが、パラレルワールドの複雑さで言えばおそらく断トツなのではないかと思う。幾つもの歴史が、幾つもの時代が、幾つもの世界が、同時に存在し絡み合っている。
ひとつの決断がその後を左右する、という当たり前な事に源はある。
ふたつの選択肢があれば、そこにはふたつの歴史がある。
ややバイオレンスでエロティックな感が強いから、苦手な人も多いかも知れない。

2016/02/20

岡本かの子短篇集『鮨』(昭和16年/改造社)



装丁画は岡鹿之助。岡鹿之助は岡本かの子の息子の岡本太郎のパリ時代の友人だったそうだ。
そして解説(「解説風に」というタイトルで)はかの子の夫の岡本一平が書いている。これがまたいい。この短篇集は一平が選別したようだった。
どの短篇もとてもおもしろかった。





2016/02/16

橋口幸子『珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎』(2011年 / 港の人)

短いエッセイなので数十分で読めてしまう。作品名のように、カフェで珈琲を飲みながらゆっくりしている時に読むのに良いかも知れません。

橋口幸子『いちべついらい 田村和子さんのこと』(2015年 / 夏葉社)

田村和子さんがどんな人だったのか分かる本。
これまでぼんやりとした想像でしかなかった和子さんが、実在した人として輪郭がくっきりした。

印象に残ったのは、ねじめ正一さんの『荒地の恋』を読んだ和子さんが「あの本のなかの私は嫌だな。わたしがすれっからしの女に書かれている。」と、作者橋口さんにプンプンするというエピソード。
私にはこのエッセイの和子さんも『荒地の恋』の和子さんもさほど変わりはないし、どちらかというと『荒地の恋』の和子さんの方が真面で可憐で、『いちべついらい』の方はかなり身勝手に思えるけれど.....。

作者の橋口幸子さんは田村和子さんと一緒に住んだり面倒をみていて、こういう人とよく一緒に居られるなぁと思った。それくらい和子さんは面倒な人。面倒な人だけど苦しいほどの哀しみをも感じる人。

和子さんのその風変わりな人柄は、父親が彫刻家高田博厚であることが影響していると思う。人格よりも才能があることが大事で、父親が一番の天才で二番目が夫の田村隆一さんだった。天才が身近にいるというのは精神的に何か影響を及ぼすと思う。
それに早くに優秀な母も亡くし、小学生の時には賢い妹も亡くしている。自分も16才~22才まで結核療養所にいた。死が身近にあること、死がもたらす深い喪失。
和子さんの身勝手さや我儘さはそういう背景の上にあるので厄介な気がする。

2016/02/06

アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳/ちくま文庫)



初めて読んだアンナ・カヴァン。

ちくま文庫版にはクリストファー・プリーストの序文があり、本書がどんな作品かが書かれていたので、初めての私にはとてもありがたかった。
『氷』はスリップストリーム文学で、広い意味での " スリップストリーム " に適合すると考えられる作家は、アンジェラ・カーター、ポール・オースター、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ウィリアム・S・バロウズ、村上春樹。と書かれていて、私はオースターもボルヘスも村上春樹も大好きだから、期待が持てた。解説はこれまた好きな川上弘美さんだし。

さて、読んでみて、感想を書くとなるととても難しい。
私はとても面白かった(面白いというかすんなり読めたというか読み心地が良かったというか、とにかく良かった)。
良かったけれど、すごく良かったというのでもなく、共感とか感心とかそういうものもなく、何だか不思議な作品だった。たぶん、それが魅力なんだろうとも思う。
解説で川上弘美さんが言っているが、《 読者は「私」と「少女」のみちゆきになめらかに寄り添うことだろう。どこの国ともしれぬ場所に、やすやすと連れてゆかれることだろう。抽象的なようでいながら。たいそう具体的なこの小説に伴走するように、共に疾駆すはじめることだろう 》というのはまさにぴったりな表現だと思う。
それから川上さんはこうも言っている。
《 カヴァンの小説は、序文に挙げられた「スリップストリーム」の小説よりも、ずっと「狭い」気がするのだ。 中略 カヴァンの「狭さ」は、ほかに類をみない「狭さ」なのだ。その狭い隙間に、体をするっとすべりこませたが最後、もう二度と出られなくなるような。そして出様として、さらに狭い奥へ奥へと進んでゆくと、もう入り口は全然見えなくなっていて、でもその先も見えなくて、絶望してしまうような。絶望してしまったすえに茫然とたたずんでいると、今までに感じたことのない不可思議な心地よさ、がやってくるような、つまりその絶望感はある種の官能を刺激するものであるような。 》
これまた、言い得て妙、さすがに作家さんはうまいこと言うなぁと思う。私なんかが感想を書くよりずっと分かりやすく的を得ている。

そんな小説で、そして全体の感想としては良かったのだけど、最後の1/4か1/5くらいからの十数ページはつらかった。語り手の男のころころと変わる考え方についていけなくなって、正直苛立って、投げ出したくなった。大阪弁で言うなら「なんやねん、自分(怒)」という感じ。
でもそれ以外は本当におもしろい小説だと思う。

2016/01/16

スティーヴ・エリクソン『きみを夢みて』(堀川芳明訳/ちくま文庫)



エリクソンワールド全開で、今回も良い小説でした。やっぱりエリクソンは良いです。やっぱり好きです。

訳者あとがきの中に各紙レビューが書かれていました。
どれも的を得ているし同意見だったので、そちらを幾つか引用抜粋します。
それを読めばこの本がどんな物語のどんな本なのか分かると思います。


痛々しいほどの誠実さ、人間的な挫折に対する謙虚な認識、まだ手遅れではないという、その希望的なメッセージ(ロサンジェルス・レビュー・オブ・ブックス誌)



さまざまなアクションや時間や大陸、リアリティを越えて響き合う (ニューヨーク・タイムズ文芸付録)


本作はこの狂気の時代において、小説にまだ何ができるかを私たちに教えてくれる(ボストン・グローブ紙)


エリクソンの荒々しくジャズ的なヴォイスは独自のものだ(ワシントン・ポスト紙)


美しく、エレジー風の物語の糸や登場人物が、リアルでも空想的でもある迷路の中で、失われた環をつまずきながら進む。家族とそのアイデンティティをめぐる、複雑かつ空想的なタペストリーだ(カーカス・レビュー誌)


本作は1960年代以前にまで遡る、より大きな物語を、つまり変形を被りやすい大統領選を巧妙に取り込んでいる。エリクソンは、メタフィクションの技巧や偶然の出来事、エコーなどを巧妙に使いこなすことで、この物語を語りそのものに関する考察へと変身させる(ニューヨーカー誌)


現在と過去のヴィジョンのすべてが、万華鏡のように鮮やかに織りなされ、エリクソンの手腕と情熱がしめされている(スーザン・ストレート氏)