2010/12/28

『愛人』と『北の愛人』





どうして『愛人』は私を苛立ちに似た悲しい気持ちにさせたのかわかった。
『愛人』と『北の愛人』は愛人が生きているうちに書かれたものと亡くなって書かれたもの。前者と後者は愛人に対する書かれ方が違う。
私は少女に深い愛があることを明瞭と言って欲しかったのだ。

結婚とかずっと一緒にいるとかそういう結末にはどうしたってなれなくても、そこには本物の愛があったと言って欲しかったのだ。
本当はあなたとずっと一緒にいたい、と。

中国の男も少女もふたりは別れることがわかっている。二度と会わないこともわかっている。それでも愛は本物だと、死ぬまで忘れないと、私はふたりに言って欲しかったのだ。

だから私は『愛人』では苦しくなって『北の愛人』では愛おしい悲しさを抱くのだ。だから私は『北の愛人』は好きで『愛人』はあまり好きじゃないのだ。
だから私の『愛人』という本の評価は個人的な願望が含まれているから全然当てにならない。


『北の愛人』はまだ途中。あともう少し。


* * *


『北の愛人』読了。



こちらは私が想像していた「愛人」だった。中国の男と少女の愛の物語。愛と死の物語。
個人的な思いから、私情とあいまって、最後にはうるっとした。
そのあと、不意にいろんなことが襲って来て心がめちゃくちゃになってわんわん泣いた。

軸になるのは中国の男と少女の話なのだが、他にたくさんの様々な話が盛り込まれている。
様々なエピソードが示唆する要素と愛と死の内容がデュラスの文体と手法によって絡み合い、ただの愛の話を脱することができている。メロドラマから文学へ変貌している。

『愛人』『北の愛人』と続けて読むといいと薦めてもらってそのように読んで良かった。私も2冊続けて読むことをお薦めしたい。