2011/03/23

『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ(若島正訳/新潮文庫)





有名なのに読んでいなかった。
デュラスの『愛人』同様、読んでみると自分の思い描いていたものとは全く違った。
想像していたよりもずっと良かった。いや、良かったというか凄かった。

なんと言えばいいのだろう。複雑な心持ちになった。
小説(作品)としての客観的な感想が言えない。
私が読んだ感想としては(読んだ時の心の状態に由るのかも知れないが)、
様々な感情の大きな波に飲み込まれたかのようになった。

流れるような言葉。表現。
様々な言語の音の響き
(特に所々に現れるフランス語がこの物語のアクセントになっているように私は感じた)。


状況や説明としての言葉ではなく、それ自体が魂のような言葉の連なりが、
小説というものを通り越して、感情という目に見えないものそのものになっているような感じ。
いかにも現実風であるのに小説という空想の世界であるというそのバランス。

異常な愛情であるはずなのに、始めから終わりまでその愛情が穢れのない誠実で清純で正常なものに思えた。
ニンフェットという幼い少女にしか美しさを感じない語り手ハンバートの世界にあっという間に嵌ってしまった。

私は苦しくて苦しくて仕方がなかった。
鳩尾が抉られるような気分がした。
切なく遣る瀬なくなった。

真っ当な人間が登場しないからかも知れない。
全員が歪んでいて、歪んでいるのに歪んだまま世界を成している。
それは暗鬱な世界なのに、まるで暗い洞窟の中でちらちらと光る岩肌のように、魅惑的で美しい。




これから読んでみようかという人のために、そしてこの本の説明として、
訳者のあとがきを(私が同感する部分を)引用しておこうと思う。

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『ロリータ』は読者ひとりひとりによって姿を変える小説である。(中略) 
さまざまな文学的言及や語りの技巧に満ちた、ポストモダン小説の先駆けとして読む人もいるだろう。話の内容はさておき、絢爛たる言語遊戯こそがこの小説のおもしろさだと考える読者もいるだろう。あるいはとんでもない大爆笑のコミック.ノヴェルとして読む人もいるだろう。アメリカを壮大なパノラマとして描いたロード・ノヴェルだと読む人もいるかもしれない。(中略) 
しかし、ここであえて言うなら、『ロリータ』の本当に凄いところは、そうしたすべての要素を含んでひとつの小説にまとめあげている点にある。そして、物語の筋書きを追って楽しむ読者にも、顕微鏡で見るように細部を点検して楽しむ読者にも『ロリータ』が提供してくれる喜びはかぎりがない。

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