洲之内徹『セザンヌの塗り残し/気まぐれ美術館』《佐渡》より
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” なぜキライか。つまり、いま読んでいただいた文章は、一言でいえば、全篇これ常套語の連続なのだ。こいつがたまらない。バーのホステスになることが「毒々しいネオンの谷間に身を埋める」ことで、そこは「嬌声と媚態が交錯する酒場」であり、男の歯が白いのもただ白いのではなく、「夜目にも」白いのである。回想の場面に入るときはまず、「そう」と思い入れがあり、次にテンテンテンがあって「あの日」とくる。
ところで、この「毒々しいネオンの谷間」や「夜目にも白い歯」やテンテンテンは絵にもあるのだ。参っちゃうのはこれである。年中こいつに悩まされる。だが、ここではまあ、それは日曜画家や、いわゆる絵画愛好会のことにしておこう。
しかし、プロだって安心はできないのである。悲しいかな情報時代といわれる現代には、真の独創性などは最早あり得ないのだ。何か人のやらない新しいことをやろうと思っても、また、やっている気でいても、ヒントはすべて情報の中からしか出てこない。ということは、これまた所詮、常套語でしかないということになる。”
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この文章を読んで思うことがあったのでそのことを書いておこうと思う。
私は洲之内さんが言うところの日曜画家の類の方かも知れないなぁと思った。常套語の絵というわけではないけれど、そこにさえ到達できていない、陳腐な、惹きつけるもののない、たいしたことのない絵しか描けない方の部類かも知れない。
どうしてそんなことを思ったのかと言うと、いま、コラボ展の作品を制作しているからである。
コラボ展はお題が有って各自がそのお題に沿って生み出すもので、こうなると真の本来生み出されるものとは心の在り方が違ってくる。
私の場合、普段絵を描く時というのは、心から思いや感情が溢れたり、心が描いてくれと叫んでいる時である。
だから私の場合、自分の絵は自分の分身であり、その時々の心の風景として絵が在る。
けれども、お題が有るとそういう風にはいかない。仕事と同じになる。仕事的なそれには「毒々しいネオンの谷間」やテンテンテンが入り込んできてしまう。仕事ならそれで構わないし、入り込んだほうが良いように思う。
しかし、コラボ展となると微妙である。お題があるからやはりテンテンテンの部分があった方が良いようにも思うが、【本来描く絵】【お題付きコラボ展】【仕事のイラスト】という並びの真ん中にいるので、洲之内さんの文章などを読んでしまうとよく分からなくなってしまうのだ。
それならコラボ展なんかに参加しなければいいじゃないかと言われるかも知れないが、自分がお題からどんなイメージを引き出せるのかを試すのはこれはこれで結構楽しかったりもするのである。
それに縁縁にはお世話になっている(一年中絵を飾ってもらっている)ので、これくらいしなければお店の人に申し訳ないという気持ちもある。
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縁縁といえば、この間、縁縁のスタッフで絵もやっている周ちゃんの参加した公募展(ARTLABOX @The Artcomplex Center of Tokyo)へ行って来た。
周ちゃんからDMをもらって見ると、そこには知り合いが主催とあって、その知人に会う目的もあってパーティの時間に行って来た。
展示された様々な作品を見ていると、ひとりの男の子が「これ、ボクが描いたんです」と話しかけてきた。
コラージュに使ったチョコレートの銀紙は2つの会社のものがあって、こっちがA社でそっちがB社なんです、と言う。
私はものすごく不快だった。だから、これからは公の場で絶対自分の作品の説明はするまい、と思った。
押し付けがましい作品ほど嫌なものはないと痛烈に実感したからだ。
しかも、その2社の銀紙というものの意図するところなど(もし意図なるものがあるとしたらの話だが)聞きたくないし、たぶんそんなことはどうでもいいことだ。
ついつい押し付けがましくしてしまいがちな私としてはこの子に会うだけでも会場に行って良かった。
その会場にある作品たちの中で周ちゃんの作品は群を抜いていた。作品の格が違うと思った。
周ちゃんの絵は説明なんかなくても文句なく素晴しいし、こちらに伝わる何かを持っている。
きっと、洲之内さんだっていい絵だと言うんじゃないかな。