2013/09/18

『假靣』高見順(⾭龍社 1947年)


ブクログに載せようと思ったのにこの本はなかった。Amazonにもなかったから珍しい本なのかもしれない。
假靣という字も簡単には出てこない。何せ表題が右読みなくらいだから仕方がない。

以前に新潮現代文学で高見順さんの『いやな感じ』と『死の淵より』を読み、とても良かったが、この『假靣』もすごく良かった。やめられなくてずんずん読んでしまった。

どこもかしこも引用に値する。
高見順さんの考え方は私にはとても共感することが多い。人間というもの、生きるということ、そういうなかなかに難しいテーマを読みやすく描き出している。

あとがきで高見さんはこう書いている。

一、終戦後の風俗を背景にしながら、背景はそつちのけで、終戦後の心の風俗に筆が強く傾いてをりますところのこの小説は、読み返してみますと、観念的な感じなのが反省されましたけれど、後からの補筆も、背景の塗り直し書き足しという方には、とんと動かないのでありました。私はかうした観念的な小説を書くことが、そしてこれからもかきつゞけることが、そしてそれを一度通ることが、この私にとつてはどうしても必要なのだと思はれます。

高見さんが自分で言うように、この小説は、背景の描写で読ませるという小説ではなく心の描写で読ませる小説である。そしてその心というのは戦後だろうが現代だろうが同じである。いまの若い子たちだってきっと共感すると思う。誰だって仮面をかぶる。

弱くて、矛盾していて、相反する感情を持ち、卑屈になったり、虚勢をはったりする。
自分を憎むこと、自分を庇い立てすること、仮面をかぶること、そういうことはいつの時代にもあることだ。
人間というのは66年くらいで変わるものではない。

ふたりの女性もいいアクセントになっている。自分しか愛せない女と、自分を愛せない女。
他の登場人物もみなそれぞれの役割を担って描かれている。
すべてにおいて本当に良く出来た、いい小説だと思う。