2011/09/14

『彼もまた神の愛でし子か』大原富枝(ウェッジ文庫)




大方が洲之内さんの小説や気まぐれ美術館のエッセイの引用で、それを元にして洲之内徹とはどんな人間であったかということが書かれている。

読んでいる最中からその感想やら思うところやらを色々と書いたのだけど、書いたあと続きを読むと書いたことが違うなと思ったり、読みながらいろいろなことを思っていたので、その思うところが有り過ぎて結局何をどう書いていいのか分からなくなってしまった。
だって、作者の大原さんという人は洲之内さんの古くからの友人だそうで、それならその人が色々と言うことが正しいに決まっていて、私がとやかく言うことなんてなんにもないのだ。

でも、なんとなく、読んでいて気持ちのいい本じゃなかった。
私は洲之内さんにお熱なところがあるから、客観的に遠い存在として見れていないからかもしれない。
勝手に洲之内徹像を作ってしまっているせいかもしれない。
どんな絵にもじっと目を凝らしてじっくりと絵を見るその姿だけで、もうそれだけで私は洲之内さんが好きなのだ。

だから過去とかどんな人間だったかほじくり出されて不快だった。苛々したし、厭な気分にもなったし、男と女についてのこともなんか違うよなぁと思ったり、とにかく全てにおいて私にはしっくりこなかった。