2012/07/29

『狂ひ凧』梅崎春生(講談社)




あっという間に読んでしまった。
島村利正さんを読んでいる時とはやっぱり違うなぁとつくづく思う。島村さんの作品の場合、ずんずん読んでいるけれどゆったりとしたスピードで深々としているのに対し、梅崎さんの場合は猛スピードでがちゃがちゃしている。まさに月と太陽のようだと思う。
そんなだから島村さんの本を読むのには数日かかり梅崎さんはほぼ一日で読んでしまうし、島崎さんを読むと梅崎さんを読みたくなり、梅崎さんを読むと島崎さんの方がやっぱり好きだなと思ったりする。

この本はこれまで読んだ作品の中でいちばんスピード感があるように思う。
どういう話になるんだろうと次々ページを捲ってしまう。そういう読ませ方というのはミステリーに近いかも知れない。
人物の登場のさせ方や、人物の性格、それぞれの関係性、起こる出来事(物語中の事実)、そういうものの作り方が梅崎さんは本当に巧い。病んだ感じを書くのが巧い。男性的な切れ味もいい。
語り手と場面と時間がひらひらと変わるというのは狂い凧のイメージに懸けられていて、そのような小説の構成というのも加味すると『狂ひ凧』は梅崎さんの最高傑作かもしれない。

物語はトラックが道路標識に追突し、その標識が狂い凧のように飛んで行って道ゆく女性に当たるというのを「私」が目撃するところから始まるが、このくだりは本編には全く関係ない。ただ、「人生何が起るか分からない」ということの提示である。自分の意思とは関係ないことで人生なんて簡単に左右されるということや、牽いては運命というものの掲示でもある。
ちなみに「私」もあまり関係ない。物語は「私」の友人の榮介とその双子の城介が中心となり、狂い凧のような家族のありかたや、狂い凧のようになってしまった人生が描かれている。
ぐちゃぐちゃになりかねない様々な物語を見事にひとつにまとめているところがスゴイ。

私は梅崎作品の終り方はあまり好きじゃない。この『狂ひ凧』はすべて狂い凧に準えている感があるので、ぷつりと絲を切るような終り方が相応しいのだろうと思う。そう分かっていても私はやっぱりあまり好きじゃない。「え、そこでそんな風に終っちゃうの?」とやっぱり思ってしまう。これまで読んだものもそういうのが多かった気がする。
しかし、総合的に見れば、面白いしやっぱりよく出来た巧い小説だと思う。

2012/07/27

『殘菊抄』島村利正(三笠書房)


この本は短篇集で、昭和16年から32年に書かれた島村さんの初期の作品が収められている。
「残菊抄」「草の中」「曉雲」「餘韻」「仙醉島」「物賣り仲間」「古風な崖」「長い脛」の計8篇が収められている。
そして序文には志賀直哉、解説には瀧井孝作が寄書している。

「妙高の秋」や「奈良飛鳥園」に比べると「青い沼」は少しまだ完成されていない感じがしたが、この「残菊抄」の中の作品はさらに若い感じがする。
私は島村さんの文章が好きだからこの「残菊抄」もおもしろかったけど、いきなりこれを読んでいたら次にいけたかどうかは分からない。旧仮名遣いだから疲れてしまう。

最後の「長い脛」は商社マンの話だから現代用に書き直したくなってしまった。きっと現代用に直したらすごく読みやすくなると思う。

収められている作品はどれも島村利正さんらしい作品だと思った。
題材の目のつけどころや、残酷なところや、冷静な視線が、私は島村さんらしいと思う。
「長い脛」の主人公は島村さん自身のことなのではないかと思った。もしこの主人公が島村さんの分身であるならば、これまで読んだ作品やここに収められている作品に納得ができる。

クールで精悍なサラリーマン。バリバリと仕事をする切れ者で、洞察力も観察力もあって、かつ島村藤村の詩を愛でる、というのは何となく私のイメージする島村さんに近い感じがする。しかもこの主人公みたいだったら確かにたくさんの女をしっていそうだし、結局そのクールさで女を泣かせる結果にもなっていそうだな、とも思う。

本当にこの中に収められている短篇はどれも冷たい。
綺麗事もドラマ的なこともない。悲惨なものは悲惨なまま、死にゆくものは死に、奇跡なんて起らない。人間の内に秘めた温かい感情が相手にうまく伝わるなんてこともない。

実際、現実というのは思うだけでは相手に伝わらないし、状況だって簡単に変わるはずもない。そういう点で、島村さんの作品はとてもクールでドライなところがあるとも言える。

けれど、クールでドライなのに文章や描写はとにかく美しい。諸行無常の中に生きる人間や自然のひたむきさがある。ひたむきさは報われなくとも美しく、生きるということはそれだけで輝かしくもある。
そういう感じがする。

2012/07/25

広隆寺 弥勒菩薩像



小川晴暘さんの写真をもとに描いた弥勒菩薩。


描きたいように描けたと思う。イメージ通りのいいお顔に描けた。
昼のあかりより夜のあかりの方が自分のイメージ通りに見える。
ひんやりとしたお堂を感じられるいい出来だと自分では思う。手を合わせたくもなる。


写実的に見えるかもしれないが、実物とは結構違う。お顔も体つきもよく見ると違う。
目に見えるものを写し描くことよりも、私の中にある仏様を出すということが大事なこと。
私が無心で祈るように黙々と心の中から紙に浮かんだ仏様を描くことが、描くことだと思う。


昨日からこの絵を描いていて、仏像を描くっていうのはいいなと思う。
描くことは祈りそのものに思えた。穏やかな気持ちになる。
昔からキリストやマリアを描くことが多かった理由もそういうところにあるのかもしれない。

2012/07/20

A bond


8月の縁縁コラボ展のために描いたもの。
クリムト生誕150周年を祝したオマージュ。



2012/07/18

『奈良飛鳥園』島村利正(新潮社)


帯にあるように、仏像写真家小川晴暘 (おがわせいよう) の生涯を書いた小説。この飛鳥園は今でも奈良にあるらしい。
私はこの本を読むまで小川晴暘という人を知らなかった。でも小川さんが撮ったという広隆寺の弥勒菩薩坐像は見たことがあった。もしかしたら学校教材に載っていたのかも知れない。


島村さんは15歳の時この飛鳥園にお世話になっているので、作中に島村さん自身も出てくる。杉村理一という名の人物がおそらく島村さん自身だと思う。
他にも山内義雄や志賀直哉に武者小路実篤なんかも出てくる。画家の曾宮一念の名前もあった。


私はとくに仏像に詳しいわけでも興味があるわけでもないけれど、この本は面白かった。中盤からぐんぐんと惹き込まれた。
口絵や挿絵としていくつもの仏像写真が載っていて、そのどれもが素晴しい。
技術的なことはよく分からないが、表情が本当に素晴しくて菩薩様を描きたくなった。
私はどちらかというとキリスト教の宗教画の方ばかりに傾倒していたけれど、小川さんの仏像写真を見て仏像も負けじと美しいのだと心から感じた。
聖母の画家と呼ばれるラファエロの描く聖母と同じように、穏やかな表情のなかに感動する美しさがある。


島村さんの文章は、この「仏像写真家、小川晴暘」という小説に合っていると思う。
島村さんの文章は柔らかく静かで水彩画のような美しさがある。そういう文章と、画家から仏像写真家となった小川さんの生涯というのはぴたりと嵌まる。
寺院や仏像が持ち携えているひっそりとした芯の強い美しさが、島村さんの文章に合っている。
逆に、島村さんの文章というのは仏像と同じような空気を醸しているとも言えるかも知れない。

2012/07/17

祐天寺み魂まつり

お寺で開催される盆踊り。
屋台が沢山出て、大勢の人で賑わいます。
人いきれに浴衣、和太鼓に盆踊りのメロディ、日本の夏の情緒を感じます。
今日明日も開催。21時まで。

2012/07/16

今日で季節展が終了。



本日18時でギャラリーカフェバー縁縁での季節展が終了します。
来て下さった方々に感謝とお礼を申し上げます。










2012/07/12

A new artwork



紙に描いた絵と写真を融合させてみました。

2012/07/09

『幻化』梅崎春生(晶文社)



装幀は駒井哲郎さん。駒井さんの作品は素敵なものが多いが、この作品もすごく素敵。好き。
私の中で駒井さんのこの作品と内容はイマイチ合致しないが、『幻化』という言葉とは合致する。
『桜島』も『幻化』も私のイメージではこういう色じゃない。第一に私はこんなに強い黒をイメージしなかった。黒だけでなく、何の色もイメージしなかった。風景の描写はあっても夏の描写があり空があり海があっても、青すらイメージできなかった。
あえて絵に喩えるならば、クロッキー用紙に描いたいくつものデッサン、そんなイメージ。
梅崎さんの作品は、風景の描写さえ感情の方に傾いてしまっているように感じた。
色をイメージするより感情という心の方に強い印象が残った。


島村さんを読んだあとに梅崎さんを読むと、梅崎さんの方がイロニーがあって尖った印象を受ける。さっぱりとしている感もある。島村さんは女々しく、梅崎さんは男っぽい。
そんなわけで、感情を描いていてもあまり胸焼けはしない。モヤモヤっと変なものが残ったりしない。その辺は『ボロ家の春秋』の " 市井もの " と呼ばれる作品と相通ずると思う。
解説では市井ものより初期の『桜島』と後期の『幻化』を高く評価していたけど、私はどっちも梅崎春生さん独自の文章だし、どっちも好きだ。
『桜島』と『幻化』とでは『桜島』の方が良かった。
蝉を握り潰すところとか、耳のない商売女とか、戦争によって心が壊れてしまった上官とか、無駄なものが何一つない素晴しい小説だと思う。



2012/07/07

『青い沼』島村利正(新潮社)


「青い沼」「乳首山の見える場所」「北山十八間戸」「城址のある町」「絵島流罪考」が収められている。


「絵島流罪考」はちょっと毛色が違うが、どれも男と女の話である。
しかも爽やかで単純な恋愛ではなく、生ぐさい感じのする質のもの。
生臭いというのはぬるぬるしたと言ってもいい。
咽の奥につっかえるような、やるせないような、すっきりしない感じが、私には現実味に感じられた。
とくに「青い沼」がやっぱりいちばん良かった。


島村さんは女を描くのが巧い。どうしてそんなに女の気持ちが分かるのだろう。
この『青い沼』に収められている短篇は女の嫌らしいところが描かれていておもしろいと思う。
女の狡さや弱さや強かさ。現代の作品にはあまり見られない類の女たち。現代の作品の女たちは嘘っぽく感じられる。私は島村さんの描く女たちの方に共感する。

2012/07/06

佐藤周作・動物墨絵のある風景展



縁縁へ行った帰りに縁縁のすぐそばにある麻布十番ギャラリーでやっている周ちゃんの展示会へ。
周ちゃんは縁縁で忙しく働いている。でも精力的に創作活動もこなす。再来年はNYで個展をやることになっているんだって。すごい!

佐藤周作・動物墨絵のある風景展 

2012年7月4日(水)-7月9日(月) 11:00~19:00(最終日は17:00まで)


麻布十番ギャラリー

縁縁で豆乳ラテ。見えにくいけど顔が描かれている。
ちょっとリアル風でイイね(笑)かわいい。

2012/07/05

Maori 夏の前の "小さな展示会"



友人のMaoriちゃんの展示会のお知らせです。
土曜日は私もお手伝いに行きます。どんな素敵な商品たちに会えるのか今から楽しみ♪
とってもとっても素敵な作品ばかりなので、まだ見たことがない人は是非ぜひおいで下さい。
このDMの写真も素敵。爽やか。
写真に映っているこのピアス、すごく大振りなんです。それがかわいい。夏にぴったり。


Maori http://maori-tone.com/


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【 Maori ×  ta Gallery 】 

Date: 2012. 7. 7(土) 8 (日)  
 
Time: 12:00 - 20:00 ( 8日は19:00まで )

場所: ta Gallery
         
         〒107-0052
         東京都港区赤坂9-6-38
 
         Tel. 03-3479-5779
       
         営団地下鉄 千代田線 乃木坂駅 【出口2】 を出て左へ30秒
!


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2012/07/04

今日から季節展が始まりました


この写真は縁縁へ出かける時に撮った
家の近所の洋服屋さん


今日からギャラリーカフェバー縁縁での季節展
『Summer Exhibition 2012』が始まりました。
それにしても今日はいいお天気です。
夏っぽい絵とスペイン旅行の夏っぽい写真の展示にはぴったりです。脱、雨女です。


ちなみに、私はお店に常時いません。
なので、行くから来て!という声にはいつでもお応えします。遠慮なく連絡ください。
7/7は友人Maoriの展示会(あとでこちらの情報も載せておきます)へ行っているため行けませんが、7日以外は昼でも夜でもいつでも大丈夫です!


ちょこっとだけ展示の風景をお見せします。
店内には絵画とイラスト、お手洗いには写真を飾っています。
ポストカード(¥150)やフレーム付き作品もたくさん置いています。


ギャラリーカフェバー縁縁 http://enyen.jp/







2012/07/03

ビアズリ

先日、舞台『サロメ』のことを書いたのでその追記として。
『サロメ』といえば、挿絵を描いたビアズリ( Aubrey Vincent Beardsley )。
白と黒で描かれたビアズリの絵はサロメの雰囲気にとても合っている。邪悪さが漲っている。エロチシズムの割合もいい。サロメの挿絵集があったら欲しいなと思う。
池田満寿夫さんの『思考する魚1』の中にビアズリについての文章があって、すごく心に残ったので引用。
最近の版画やりたい願望にこれも一役買っていると思う。
ビアズリの白と黒は他の色彩を決して暗示さえし得ない白と黒である。それはわれわれの知っているドローイングの概念を完全にくつがえしたものである。すなわち黒と白はドローイングの概念では色彩ではなかった。ということはあらゆる色彩を暗示する可能性があるということである。ビアズリは他のいかなる色彩も感じさせ得ないということで、白そのもの、黒そのものの色彩の意味を明示した画家であった。

2012/07/02

銅版画がやってみたい



駒井哲郎展で買った図録
この見た目に一目惚れ。素敵。

スペイン旅行にも持って行ったから破けたり角がボロボロになってしまった

最近池田満寿夫さんの本を読んだり、駒井哲郎さんの作品を観たせいもあって銅版画(エッチング)やリトグラフがやりたくなっている。もともと版画をやりたい気持ちはあったから、その気持ちが強くなっていると言った方がいいかもしれない。

あの線はやっぱりあれでしか生まれないと思う。硬くてクールだけど温もりも感じる線。いいよなぁ。好きだなぁ。それから線の始まりと終わりが丸くならないところが魅力的。
そういうので昔ロンドンで描いてた小物たちみたいな絵を書いたらかわいい。(こんなやつ →  http://sachiko-yagihashi.com/favorite.html )

それで、その気持ちを旦那さんに話したらプレス機の小さいのがあれば買ってもいいと言われた。技術進歩で簡易的になっているんじゃないかとも。それで朝からネットで版画教室や道具などを調べてみたが、色々あって頭が痛くなったので調べるのをやめた(いつもこうやって版画に手を出せなくなる)。
とりあえずは木版をやってみようと思う。エッチングやリトグラフやシルクスクリーンに手を出すのはその後でにしよう。