2012/07/27
『殘菊抄』島村利正(三笠書房)
この本は短篇集で、昭和16年から32年に書かれた島村さんの初期の作品が収められている。
「残菊抄」「草の中」「曉雲」「餘韻」「仙醉島」「物賣り仲間」「古風な崖」「長い脛」の計8篇が収められている。
そして序文には志賀直哉、解説には瀧井孝作が寄書している。
「妙高の秋」や「奈良飛鳥園」に比べると「青い沼」は少しまだ完成されていない感じがしたが、この「残菊抄」の中の作品はさらに若い感じがする。
私は島村さんの文章が好きだからこの「残菊抄」もおもしろかったけど、いきなりこれを読んでいたら次にいけたかどうかは分からない。旧仮名遣いだから疲れてしまう。
最後の「長い脛」は商社マンの話だから現代用に書き直したくなってしまった。きっと現代用に直したらすごく読みやすくなると思う。
収められている作品はどれも島村利正さんらしい作品だと思った。
題材の目のつけどころや、残酷なところや、冷静な視線が、私は島村さんらしいと思う。
「長い脛」の主人公は島村さん自身のことなのではないかと思った。もしこの主人公が島村さんの分身であるならば、これまで読んだ作品やここに収められている作品に納得ができる。
クールで精悍なサラリーマン。バリバリと仕事をする切れ者で、洞察力も観察力もあって、かつ島村藤村の詩を愛でる、というのは何となく私のイメージする島村さんに近い感じがする。しかもこの主人公みたいだったら確かにたくさんの女をしっていそうだし、結局そのクールさで女を泣かせる結果にもなっていそうだな、とも思う。
本当にこの中に収められている短篇はどれも冷たい。
綺麗事もドラマ的なこともない。悲惨なものは悲惨なまま、死にゆくものは死に、奇跡なんて起らない。人間の内に秘めた温かい感情が相手にうまく伝わるなんてこともない。
実際、現実というのは思うだけでは相手に伝わらないし、状況だって簡単に変わるはずもない。そういう点で、島村さんの作品はとてもクールでドライなところがあるとも言える。
けれど、クールでドライなのに文章や描写はとにかく美しい。諸行無常の中に生きる人間や自然のひたむきさがある。ひたむきさは報われなくとも美しく、生きるということはそれだけで輝かしくもある。
そういう感じがする。