2010/12/28

2011年の日記帳


2010年は新潮文庫のマイブックを使っていた。
来年も同じものにしようと思っていたのに、ITOYAでこれを見つけてしまった。
ひとめぼれ。
この紙に合うインクと万年筆も欲しいなぁ。

『愛人』と『北の愛人』





どうして『愛人』は私を苛立ちに似た悲しい気持ちにさせたのかわかった。
『愛人』と『北の愛人』は愛人が生きているうちに書かれたものと亡くなって書かれたもの。前者と後者は愛人に対する書かれ方が違う。
私は少女に深い愛があることを明瞭と言って欲しかったのだ。

結婚とかずっと一緒にいるとかそういう結末にはどうしたってなれなくても、そこには本物の愛があったと言って欲しかったのだ。
本当はあなたとずっと一緒にいたい、と。

中国の男も少女もふたりは別れることがわかっている。二度と会わないこともわかっている。それでも愛は本物だと、死ぬまで忘れないと、私はふたりに言って欲しかったのだ。

だから私は『愛人』では苦しくなって『北の愛人』では愛おしい悲しさを抱くのだ。だから私は『北の愛人』は好きで『愛人』はあまり好きじゃないのだ。
だから私の『愛人』という本の評価は個人的な願望が含まれているから全然当てにならない。


『北の愛人』はまだ途中。あともう少し。


* * *


『北の愛人』読了。



こちらは私が想像していた「愛人」だった。中国の男と少女の愛の物語。愛と死の物語。
個人的な思いから、私情とあいまって、最後にはうるっとした。
そのあと、不意にいろんなことが襲って来て心がめちゃくちゃになってわんわん泣いた。

軸になるのは中国の男と少女の話なのだが、他にたくさんの様々な話が盛り込まれている。
様々なエピソードが示唆する要素と愛と死の内容がデュラスの文体と手法によって絡み合い、ただの愛の話を脱することができている。メロドラマから文学へ変貌している。

『愛人』『北の愛人』と続けて読むといいと薦めてもらってそのように読んで良かった。私も2冊続けて読むことをお薦めしたい。

2010/12/27

ChupaChaps Tree


以前にTOKYU HANDSで見てカワイくて面白いから欲しいと思っていたチュッパチャップスのツリー。
クリスマスシーズンになってHANDSに行ったら売り切れと言われ、LOFTに行ってみたらこれまた売り切れ。そうなると何が何でも手に入れたくなって、結局ネットで購入。

おうちに遊びに来た人に好きなチュッパチャップスを持って帰ってもらうのです。

2010/12/25

『愛人 ラマン』マルグリット・デュラス(河出文庫/清水徹訳)

これが流行ったのはいつだっただろう? あまりにも流行り過ぎて読むタイミングのなかった本。
今回、何故今さら読むことにしたのかというと『愛人』と『北の愛人』を続けて読むといいよ、と人から聞いたからだ。

デュラスの作品自体一冊も読んだことがないから、初めはその文体に戸惑ってしまった。いかにもフランス風だと思った。読み進めていくうちに、あれよあれよとあっという間に読み終えてしまった。

そして、全然愛人の話じゃないじゃん! ていうか愛人(あいじん)じゃなくて愛する人って意味なのか!とびっくりした。
あんなに流行ったのに何故か間違った認識でいた自分にびっくり。

当初思っていた、少女と中国人の男についてはそれほど書かれておらず、家族のことが殆どを占め、残りはフランス人作家らしい、あらゆる方面へ飛び移る文章たち、隠喩的な描写、空想的かつ幻視的な描写が占めている。

でも、作品として内容として、流行ったのは分かる。心地良い文章に、美しい女性と歪んだ家族というモチーフ。そういうのって好きな人は多いと思う。
私は苛立ちにも悲しみにも似た暗い気持ちになった。文章も作品も素晴しいと思う。でも私にはどうしてだか苦し過ぎた。

クリスマスイヴの出来事


クリスマスプレゼントに彼がアロマディフューザーを買って来てくれた。
前に買ったDAYNA DECKERの別の香りのもの。私が気に入っていた匂いのもの。
私が欲しくても言い出せないだろうもの。もったいない、と言いそうなもの。
まさかクリスマスプレゼントなんてあるとは思わなかったから、本当にびっくりした。




クリスマスだからチキンだよね、と私が言ったら、じゃあタンドリーチキンがいいと彼。
クリスマスにインド料理。まぁいいか。
彼は私の手作りタンドリーチキンが大好物。




クリスマスケーキは近所のケーキ屋シュ・リュイで。
友達から引越祝いにもらったいちごのシャンパンと。

2010/12/24

『愛について語るときに我々の語ること』レイモンド・カーヴァー(中央公論社/村上春樹訳)

ずっと以前に、レイモンド・カーヴァーの何かを読んだことがあったと思うのだが、何を読んだのかすら覚えていないのだから、その時は然程感動しなかったんだと思う。
それでも何となくまたカーヴァーを買ってみた。

さて、今回はというと、やっぱり特別にものすごい衝撃を受ける(たとえばエリクソンの『黒い時計の旅』を読んだ時とか、ファウルズの『魔術師』を読んだ時とかのような)というのではなかった。
この前読んだ『and Other Stories -とっておきのアメリカ小説12篇-』と割と同じような感覚。どちらも短編集でアメリカ小説というのもあるかも知れない。でもまぁ、同じようだとは言え、私はカーヴァーのこちらの短編集の方が良かった。(もちろんいくつもの作品があるので好きなものとそうでないものというのはあるけれど)
中でも私は『出かけるって女たちに言ってくるよ』『デニムのあとで』『足もとに流れる深い川』『私の父が死んだ三番目の原因』『静けさ』が好きだ。

あー、レイモンド・カーヴァーってこういう感じなんだ、というのはよく掴めた。他のも読んでみてもいいなという気にもなった。

ブラックな感じがいい。絶望+救いのない感じ、さらにそれを投げ出しっ放しな感じ、またそのままの終わり方。私は嫌いじゃない。

私は気持ちの波が激しいので、こういうのがいい時もあればほっこり温かい救いと希望のある物語が読みたい時もある。
だからカーヴァーのこの作品が好きな人もいればそうでない人もいると思う。

Merry Christmas ☆

気付けば、今日はクリスマス。
今年はクリスマス用のイラストを描いてなかったから古い作品を漁ってみた。
昔のイラストとか絵を見て、昔の方がかわいかったりいいものだったりが多いような気がした。シンプルで、描きたいものを描いてるっていうか、迷いがないというか。単純に、悪くない、と思う。
今はなんだか面倒臭い自分になってしまった感じがする。色んなものを溜め込んでしまったせいなのか、複雑になり過ぎている。と、自分では思う。

8年前のイラスト。特にサンタでもクリスマス柄でもないけど、
かわいいからこのイラストで皆様にメリークリスマス☆

2010/12/22

sofa's fabric


ソファのファブリックサンプルが届いた。

生地を選んで張り替えまでお願いする予定のSTANLEY'Sさんで見つけた海外もののブルーのファブリック。日本の製品にはなくて海外からの取り寄せになった。

日本のものは青が少なかった。緑みたいな青だったり、鼠の入った薄い水色だったり、紺に近かったり。(写真だと照明の関係でこれも緑がかって見えるけど、実際はパキッとしたスカイブルー)
STANLEY'Sさんで聞いたら、キレイなブルーを出すのは難しいらしい。確かにイラレで作業している時も思うようなブルーをCMYKで作るのって難儀だもんなぁ。

織りと厚さが違う2種類。色はさほど変わらないから私は安い方でいいようにも思うけど、彼が帰って来たら要相談。

STANLEY'S http://www.stanleys.co.jp/
ナショナルインテリア http://www.nt-interior.com/

2010/12/20

Maori's accessories


フォトグラファーでアクセサリーアーティストのMAORIちゃんのアクセサリー。
合同展『ランタン』(@中目黒hygge)で見て一目惚れ。
丸い大きいのは指輪で、四角いのがピアス。

ソファを買ってくれた叔母へのお返しはMAORIちゃんのアクセサリーにした。
以前に私がつけていたのを見て素敵!と言っていたので。
最初はサプライズ的に私が勝手に選んで送ろうと思っていたのだけど、やっぱり欲しいものを言ってもらおうと思ってMAORIちゃんのサイトhttp://www.maori-tone.comで選んでもらった。
今日、縁縁のコラボ展の搬入でMAORIちゃんから商品を受け取ったので早速叔母に送った。
気に入って喜んでくれると嬉しいなぁ。

imagine2011@ギャラリーカフェバー縁縁


今日から縁縁でコラボ展です。
今回のテーマはimagine。 
私はエリクソンの文章からイマジネーションを得て、尚且つ自分の中で感じるimagineというものを絵にしました。想像は生に直結しているような気がします。生命というもの、子宮、水、大気、この世のあらゆるもの、そういうものを込めて描きました。 
私にとって<想像すること>はすなわち<生きること>なのです。 
想像力があるがゆえに死ねないのです。


ギャラリーカフェバー縁縁 http://enyen.jp/ 

『アムニジアスコープ』スティーヴ・エリクソン(集英社/柴田元幸訳)


これはこれまでに読んだエリクソンとはだいぶ違った。
この時期の作家に何かがあったのだろうかと思わざるを得ないような、自伝的要素を感じてしまう作品。
正直、これを最初に読んでいたら私はエリクソンの他の作品を読んだかどうかわからないし、エリクソンという作家を今のようには思えなかっただろうと思う。
ただ、この本のあとがきに訳者の柴田さんがとてもいい文章でエリクソンのことを表しているので引用しておく。
まず、僕にとって、エリクソンによるつまらない文章、というのはほとんどありえない。万一かりに、少し冗長ではないか、焦点が定まっていないのではないか、と思えるときでも、エリクソンの文章は、頭で操作するのではなく精神の奥底から言葉を引き揚げてくる人(と、あくまで僕には感じられる、ということなのだが)固有の強さ、烈しさがつねにみなぎっている。もしかしたら下手に書くことはありうるかもしれないが、力なく書くことは絶対にない人である。(p260)
私も柴田さんの感じていることに同感している。

2010/12/18

うっかりと唐突に

突然というよりもうっかりと唐突に、漠然とした『無』に滑り落ちることがよくある。
それは、幸せだったり楽しかったりしたことの代償のように思える。
だから私は幸せだったり楽しかったりすることが怖い。
何か特別な、頭で考えるよりも心が感じるような出来事に遭遇するのが怖い。

何もない、何とも遭遇しない、つまらない日々の中にいることを望んでしまう。
私には、失う(または手に入らない)淋しさより、単調でつまらない淋しさの方が何倍も何百倍も耐えられる淋しさだ。

誰かを想うこと、社会や世間を気にかけること、見知らぬ視線、そういうものを軽減しないと
私は生きていけない。

2010/12/15

年賀状



縁縁で年賀状の話をしたので、帰って来てからちょこっと描いてみた。
来年の干支って何だっけ?ってとこから始まって、うさぎ→バニーちゃんという何とも安直なイラスト。
やっぱりうさみみはどうなの?ってことで取っ払ってみたら、少し私らしくなった。
でも、それじゃあ年賀状じゃないんじゃない?ってことでこれはまたお蔵入りになっちゃうのかも。

常設絵画の取り替え


縁縁の展示絵画を新しい絵に替えた。

今回の絵は個人的に結構気に入っている。
じっと、ひとりきりで、静かに、見つめてもらえたら、
<喪失>を感じてもらえるんじゃないかと思う。


たとえ人は自らの大切な命を捧げようとも、
失ったものの埋め合わせをすることはできない。
         スティーヴ・エリクソン『エクスタシーの湖』

2010/12/12

ソファ

昨日、ソファを買った。以前に日記に書いたKarfのウェグナーじゃなくて、moody'sでドミノファニチャ−の50年物。
やっぱり坐り心地を優先した。

ファブリックは前の持ち主のアメリカ人が渦巻き模様にしてたので、さすがに張替える予定。
きれいな明るいブルーにしたい。

2010/12/08

『ant Other Stories』とっておきのアメリカ小説12篇(文芸春秋)



古本屋、赤い鰊で、なんとなく買ってしまった本。

内容については、特に深い感想はないけれど、内容がというものもあるし内容というよりは文章がというのもあるが、全体としてどの作品も良かった。
私は特にロナルド・スケニック、村上春樹訳『君の小説』が良かった。

2010/12/03

今月のブックカバー


今月のブックカバー(無料ダウンロード)をサイトトップにUPしてあります。
冬らしく、南天と空。

よかったら印刷して使ってください。

http://sachiko-yagihashi.com/

2010/11/30

合同展【ランタン】12/2-12/6@中目黒hygge

中目黒でMaoriちゃんの写真とアクセサリーの展示販売が行なわれる。
近所なのでちょこちょこ遊びに行く予定。
ホントに素敵な作品(商品?)なので、お時間ある方は是非ぜひ来てみてください!














下記:MaoriちゃんのBlogより
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【 ランタン 】

ー どこかせつなく、あたたかい ー

四人の感性がぶつかり、融合し合い、結びついた共通のことば
それが 【 ランタン 】 でした。

それぞれが思い描く ランタンを
アクセサリー 、 写真 、 イラストで表現した、展示販売です。


ながやいつき
イラスト http://bobs.ciao.jp/ 

うちだなおこ
アクセサリー
 [ http://bobs.ciao.jp/ 

MAORI
写真、アクセサリー http://www.maori-tone.com 

小田祐子
イラスト


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Date:
    2010.12.2(木) - 12.6(月)

Time:    12:00 - 19:00(12.2(木)13:00 OPEN / 12.6(月)17:00 CLOSE)

Place:    hygge - arts & crafts   gallery + coffee -
 
              〒153-0051 
              東京都目黒区上目黒1-15-13 2F
              TEL: 03-3461-7673

URL:      
http://hygge.cc/     


Access:  http://hygge.cc/access.html


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目黒川沿いをちょこっと入った場所に
ひっそりと佇む素敵なギャラリーです。

冬のお散歩がてら、ぜひ足をお運び下さいね。


Maori

2010/11/29

コートのリメイクの続き


この間、ロングコートをケープマントに作り変えたのだが、残った生地とポケットでバッグも作ってみた。
余すことなく使い切ってスッキリ。

2010/11/28

買おうと思っていたソファ


Karfで買い付けの時の写真を見て気に入って、コンテナで運ばれてくるのを待っていたソファ。ウェグナーの2P。ようやくお店に届いたと連絡をもらい、昨日早速会いに行って来た。
ところが、座ってみたらあんまり座り心地が良くない。
でも、形とか手のチーク材の色とかはやっぱりすごくいい。
悩む〜。

2010/11/26

THE LOWBROWS - Emotion -


11/24に発売されたTHE LOWBROWSのニューアルバム『Emotion』
発売した日からずっと毎日朝から晩まで聴いている。家の中でも外にいる時でもかけっぱなし。ヘッドホンで大音量で聴くと、もーたまらなくカッコイイ。
アルバム全体の曲のバランスがいいからまだ全然飽きない。聴けば聴くほど好きになる。
リリースツアーをやっているので、12月のClub Asia には行きたい♪

http://thelowbrows.com/

コートのリメイク

古いロングコートをリメイクしてみた。
所々虫に喰われてるので、ご近所用のケープマントにした。
捨てようと思ったくらいなので、まぁ失敗してもいいやと、ざくざくチョキチョキ。測ったり、もちろん型なんて作ってない。目分量で適当に縫い縫い。
そのわりにはなかなかの出来栄えで満足。

* 元々付いてたファーバージョン


* ファーを取ってスタンドカラーにも出来るようにしてみた



もうひとつ虫に喰われたロングコート(明るいキャメル色で、レトロなもの)があるんだけど、こっちは変身できそうにないんだよな。変わってるから捨てるのもったいないし何かに使えるといいんだけどなぁ。うーん、ボタンだけ取ってさよならかなぁ。

2010/11/25

『町でいちばんの美女』チャールズ・ブコウスキー(新潮社/青野聰訳)


そうだった、ブコウスキーってとにかく下品で卑猥なんだったっけ、と、読み始めて思い出した。すっかりうっかり忘れていた。

たらの芽書店で見かけて思わず買ってしまったのだけど、これを読んでいると言うのは憚られるくらい、まぁ、下品で卑猥なわけで。読み始めは買ったことをちょっと後悔したりもした。

それでも、最初の「町でいちばんの美女」はかなりいい短編で、結構好き。
ところが2つ目からは、、、。

でも、読み進めているうちに下品で卑猥なだけじゃなくなってくる(もしかしたらそれに慣れてくるだけかもしれないけど)。
後半は哀愁というか切なさのような感情だったり生きることそのものについてだったりが強く出て来て、もう残り少ないなという頃にはちょっと名残惜しくなってもくる。

で、結局、悪くない、という心持ちで終わるから不思議。

2010/11/16

『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー(早川書房/村上春樹訳)


絵と小説は似ている。どちらも純粋に直感的に好き嫌いが出る。しかし、生み出した人物の像、意図、時代背景、生きた土地、そういうものを知るとまた違って見えてくることもある。

レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』、ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』は村上春樹氏のあとがきを読んで、より理解を深めるところの多い作品だった。

主人公であり物語の目となるフィリップ・マーロウ。私は読み初めからこのマーロウに違和感があり、どうにも居心地が悪かった。それは私が普通の人物としてマーロウを捉えようとしていたからである。普通に読むように、知らず知らず主人公マーロウの人柄や考え方に共感したり思いを寄せる何かを見つけ出そうとする読み方をしていたから、マーロウという人物が掴めないというのは些か心地が良くなかったのだ。

マーロウは主人公であり語り手である。しかしマーロウは
実在していないし、実在できない。彼はひとつの行動の人格化で、ひとつの可能性の誇張である。
あくまでも「視点」であり、生身の人間というよりはむしろ純粋仮説として、あるいは純粋仮説の受け皿として設定されている。(あとがきより引用)
 このようなあとがきを読んで(本当はあとがきを全部抜粋しないと分かりにくいかもしれないのだが)それですっかり納得し、さらには興味深い良い作品だという感想になった。


* - - - * - - - * - - - * - - -

それから、あとがきで村上氏も作品の中の寄り道の文章、細部の文章が好きだと仰っているが、私も同意見である。村上氏はその例えとして金髪女の描写について挙げているが、私は鳥の出てくる部分の描写が気に入っている。
スタンドを消し、窓際に腰を下ろした。茂みの中で一羽のモノマネドリが何度かトリルのおさらいをし、その見事さに自分でもうっとりしてから夜の闇に身を落ち着けた。(p99)
というような文章がふんだんに盛り込まれている。きっとこういう寄り道の文章がなければただのミステリ小説になってしまうんだと思う。

2010/11/05

『世界のすべての七月』ティム・オブライエン(文芸春秋刊/村上春樹訳)



近所の古本屋で本棚をぐるりと見ていてこの本を見つけた。
タイトルを見て、そういえばこの本読んでみたかったんだと思い出して買ってみた。

読み始めてすぐの時は、失敗したかなと思った。でも読んでいくうちにずんずんと淡々と読み進めてしまった。

村上春樹があとがきでこう言っている。

どたばた劇として、延々と続く笑劇(ファルス)として、この長編小説を成立させている。まとまりよりは、ばらけの中に真実を見出そうとしている。解決よりは、より深い迷宮化の中に、光明を見いだそうとしている。明るい展望よりは、よたよたとしたもたつきの中に希望を見いだそうとしている。もちろん思い入れはある。しかしその思い入れは、多くの場合空回りしていて、読んでいてなんとなく面はゆく感じられてしまう。もちろんそれは意図的なものであり、決して作者が下手だからではないのだけれど、なんとなくそれが下手っぴいさに思えてしまうところが、オブライエンの小説家としての徳のようなものではないかと、僕は思う。つまり、それが偉そうな仕掛けに見えないところが、実はこの小説のいちばんすごいところなのかもしれない、ということだ。


あとがきを読んで、なるほど、そうなのか、と気づいた。
だって、どうしてだか分からないけど、時間があれば手に取って読んでしまうのを自分でも不思議な気持ちでいたのだ。
オースターのように物語に華やかさがあるわけじゃないのに、マンディアルグのようにちっとも読み進められないというのでもなく、エリクソンのように心にガツンとくるわけじゃないけど、何だか気になる、そういう気持ちでいたのだ。


そうそう、あとがきにおもしろいことが書いてあったので、こちらも引用。

僕自身はオブライエンとほぼ同世代なので、読んでいて「うんうん、気持ちはわかるよ」というところはある。世代的共感。五十代半ばになってもなお行き惑い、生き惑う心持ちが実感として理解できるわけだ。でも、たとえば今二十歳の読者がこの小説を読んで、どのような印象を持ち、感想を持つのか、僕にはわからない。「えー、うちのお父さんの年の人って、まだこんなぐじぐじしたことやってるわけ?」と驚くのだろうか?

2010/11/04

AROMA DIFFUSER



昨日、中目黒のBALSで15000円のアロマディフューザーを買った。
ずっと買うかどうか悩んでいた。だって消耗品にその金額って勿体ない。現状アロマディフューザーは小さい物6個+MUJIの超音波加湿のもの1個があるわけだし。
でも相方さんがそのアロマディフューザーの香りを気に入ってどうしても欲しいというのと、私が匂いに敏感過ぎて家の生活臭が気になるというので悩んだ挙げ句購入してしまった。

買ったのはDAYNA DECKERのZERIAというもの。
その香りは、外国のホテルのようなシダーウッドや檜の入った香り(我が家ではおっさんの匂いと読んでいる)。
匂い自体は好きなんだけど、家に置いたらなんか合わない。ウッディな匂いと家がマッチしないんだと思う(うちが全然ウッディじゃないから)。もうちょっと爽やかなものか甘いものにすれば良かったかな。
それでもやっぱり高価だからか香りは強くて、生活臭が消えていい感じではある。


注)瓶はIKEAで買ったものです


2010/11/02

「日本画と西洋画のはざまで」@山種美術館



久しぶりに興奮した。興奮と感激でぶるぶる震えた。

本当に素晴しかった。
時間があって近くに住んでいて絵画に興味のある人は絶対に行った方がいい。
私はもう一度行く。今度は開館と同時に行く(今日は混んでいてしかもうるさい人ばかりで残念だったから)。

見たかった絵が結構あったし、知らなかった作品も知っている作品も殆どすべて素晴しい作品だったし、どれも写真で見るより断然良かった。どれも色が素晴しく美しかった。

渡辺省亭の《迎賓館七宝額下絵帖》は見てみたかったし(インコの腹の質感なんてものすごかった。色もすごく綺麗で美しくて。構図も素晴しくて。ドキドキした)、好きな竹喬まであったし(これまた良かった)、今回の目玉にしている岸田劉生の『道路と土手と塀』も本物は本当に素晴しかったし、小林古径の静物画も本当に美しかったし、もー本当に嬉しくって仕方がないくらい全部良かった。

荻須高徳の『街風景(メニルモンタン)』も良かったなー。梅原龍三郎も良かったし、土牛の『雪の山』も本物は良かったし。和田英作の『黄衣の少女』なんてそこに人がいるみたいに写真みたいにリアルだったし、いや、ホントに、もう、全部良かったわけです。

未だ興奮冷めやらぬわたくしです。

山種美術館

2010/10/30

尾崎一雄、シェイクスピア



『昔日の客』の中に、尾崎一雄氏の名前が頻繁に出てくる。
そういえば実家で並んでいるのを見かけたなと思い、今回実家に帰ったので聞いてみた。
すると
「俺じゃないよ」と父。
「私も見た」と妹。
「俺じゃない」とさらに父。
「でも、見た」と妹と私。
結局、祖父のところだったので今回は尾崎一雄はやめにした。
代わりにシェークスピアを借りて来た。
父の本だからかなり色も変色している。開くと古本ならではの匂いがする。
新潮社のシェイクスピア全集、福田恆存訳、昭和35年発行で定価の「価」の字は「價」になっているくらい古い。
借りて来たはいいけど、追々になってしまいそうな気がする。

ドレスの試着

来年妹が結婚式を挙げる。
ドレスの試着に付き合った。

2010/10/26

書道



私は賞状技法士の免許を取るために通信教育で書道を習っているが、叔母も書道を習っている。
その叔母の通う教室の書道展が28(木)〜31(日)日の会期で麻布十番で開催される。
叔母から書道を習っているとは聞いていたけど、書道展を開くような類の書道だとは思っていなかったからDMが届いた時はちょっと驚いた。

私の方は11/21日に1級の試験があって受けるかどうか悩んでいたのだけど、やっぱり今年は見送ることにした。課題提出だけでも結構手一杯なのに、仕事が入っちゃったからちょっと無理かなぁ、と。
来年1級試験用の講座を取って、それで受ける。今やっている講座はこのままいけば3級はたぶん取得できるし。
というわけで今も提出課題と格闘中。

studio issai http://www.tanakaissai.com/school/

2010/10/23

『昔日の客』関口良雄(夏葉社)


東京大森の古本屋「山王書房」店主、関口良雄氏の随筆集。

天気の良い初秋の穏やかな日のような、木漏れ日がつくった日溜まりのような、そんな本だった。長閑なほっこりとしたあたたかさが包み込んでくれる。
いい本だなぁと思う。

日溜まりの温かさのような本であると同時に、ここには沢山の死が在る。その死が関口氏の語りによって何とも言いがたく心にぐっと染みる。

最後のあとがきは息子さんが書いてらっしゃるのだが、これがとにかく泣けた。
読んできた最後にやってくる話として最高の話だと思う。
これまであとがきを読んで泣いたことなんてない。本当に号泣した。後から後から涙がぽろぽろとこぼれて来た。

本当にいい本だなぁとしみじみ思う。買って読んでよかった。

2010/10/22

親知らずを抜いて来た


2時間ほど前に親知らずを抜いて来た。
今は麻酔が切れて顔の左全体が痛くなってきてる。頭まで痛い。
抜いた時は全然痛くなかった。麻酔の注射もそんなに痛くなかったし。抜く行為自体ものの3分ほどで終わっちゃって拍子抜けしたくらい。歯ってこんなに簡単に抜けちゃうんだ、ってちょっとびっくり。
で、私の親知らずを見て、先生が「かわいいね〜」って。何ですかそれ。歯にかわいいとかあるんですか!
で、記念に持って帰る?と言われたので、「ハイ」と私。
写真はかわいいと言われた私の親知らずちゃん。上の方は茶色いしひどい虫歯になってるただ汚い歯なのになー。

2010/10/20

『エクスタシーの湖』スティーヴ・エリクソン(筑摩書房/越川芳明訳)


読了。これもすごく面白かった。
この本は『真夜中に海がやってきた』に続く形をとるので、先ず『真夜中〜』を読むことをおススメしたい。
主人公も同じだし、前作の終わりからの続きの物語だし、他の登場人物や過去もそのまま投影されているから。

それからこの本の面白いところは、文章のレイアウトにもある。
段落、標準体と斜体、ページの使い方、文字組み、言葉の見せ方にすべてこだわっている。そうして全体で物語をつくり上げているところがとても興味深い。

水から掬い取った言葉を、










というように、まるで泡のように表現したりする。



この本は、女性の方が興味深く読めるような気がする。
<産道うんが>というキーワードがあり、カオスというキーワードがあり、
前者の指す命の連鎖と後者の指す命の喪失と、人間と世界と自然を渾然一体となした物語を、子供を護る母親を主人公にして描いているから。
生命の源は女性の子宮。赤い血、赤い狂気。喪失する青。

エリクソンの小説は、いつも私の創作意欲を駆り立たせる。またあとで読み直したい。


文中の引用メモはこちら→http://yomuxmemo.com/user/2389

2010/10/19

久しぶりに倒れた

昨日、朝から立つのがやっとというくらい体調が悪かった。
でも、歯医者の予約(親知らずを抜くという治療)が入っていたから歯医者に行った。
歯医者に着くともうぐったりして吐き気までして、自分の身体を支えられなくなった。
当然親知らずの治療は延期になり、クリーニングだけして歯医者を出て帰ることに。

歯医者を出て、家に向かおうと歩を進めてみたら、左足が思うように動かない。左の子宮が久しぶりに主張して左足を麻痺させているみたいだった。手足の先に感覚がなく、油断するとうっかりそこで倒れてしまいそうなくらい意識が朦朧とした。

途中でもう諦めて倒れてしまおうかと、膝と手を地面に付いて壁に寄りかかったりしたから、普段なら10分で行ける歯医者までの距離が45分もかかってしまった。途中で救急車を呼んでしまおうかとも思った。
でも、なんとか踏ん張って家へ帰った。玄関を開けてそのまま倒れて気を失った。

今日は、さっき買い物へ行こうと少し歩いてみたら、子宮全体がひどく痛んだ。天気が悪いせいか頭もひどく痛い。

心や身体の調子が悪いと、私の創作意欲はどうしてだか活発になる。
昨日は横になりながら何枚も頭に浮かぶイメージをスケッチした。
後から後からイメージが湧いて、絵を描きたくて仕方がなくなる。

2010/10/15

『エクスタシーの湖』スティーヴ・エリクソン(筑摩書房/越川芳明訳)


今、佐藤泰志とエリクソンを読んでいる。
佐藤泰志の方が一区切りついたので(海炭市叙景、移動動物園、きみの鳥はうたえる、黄金の服、鬼ガ島、そこのみにて光輝く、大きなハードルと小さなハードル、納屋のように広い心、を読み、何作かの詩とエッセイを読んだところ)基本的にはエリクソンをメインで読んでいる。

エクスタシーの湖という小説には「ヴィジョン」という言葉が出てくる。
それは文字通りであり、夢でありパラレルワールドであり、過去であり未来であり、意思であり記憶である。
とある場面、"十五分と経たない前に起こった出来事が「現在」に引き返してきた" りする。


自分の10代までを思い出す。
10代までの(実家住まいだった時までの)私は不吉なことだけに関する予知とヴィジョンを抱えていた。
音もなく玄関から入ってくる男性や、後部座席に座っている女の子や、夜ごとベッドの足元に現れる老婆や、寝ている私の身体の上で飛び跳ねる子供や、死んだはずの飼い猫とか、私の見る夢は現実よりもリアルだったから、それが夢なのか現実なのか分からなかった。
自分のいる世界は他のみんなと同じ世界であるはずなのに、私には他のみんなが見えるもの以外が見えたから時々自分の世界が分からなくなった。

ヴィジョン。エリクソンの小説を10代の頃に読んでいたら私はどう感じただろう。

実家を出てから私はヴィジョンを見なくなった。
夢と現実がごちゃ混ぜになることもなくなった。
見たいヴィジョンさえ見れなくなった。
原因不明の病や慢性的な頭痛がなくなり肉体的に健やかになった。

今思い出してみると、あの頃の自分は自分ですらないように思える。どこか別の世界にいる私のヴィジョンとしてのもうひとりの私。私であって私でない私。

何かを失ったのか、余計な何かが削ぎ落とされたのか、どちらにせよ10代の頃の自分を懐かしく思い出した。




2010/10/13

昨日のブログ

昨日ブログに書いたことを反省している。
読んでしまった人はどうぞ忘れてください。

クリムトの模写の絵

友達が買ってくれて送ったその後、その友達から飾ってある写真が届いた。
ちゃんと額縁に入れてもらって、壁に飾ってもらって、なんだか幸せそうに見えた。
一緒に送ったブックカバーも使ってくれているみたいで嬉しい。
また、布製のブックカバー作ろう。

先週、歯が痛くて歯医者に行ったら、親知らずの虫歯だった。簡易的な治療はしてもらったけどまた痛くなってきた。次の治療までだいぶ日があるから困った。
虫歯の親知らずは抜いても抜かなくてもどちらでもいいらしいが、やっぱり抜いてもらおう。
歯を抜くなんて20年ぶりくらいだからちょっとコワいけど。

2010/10/07

タイトルなし

動悸が早くなる。冷や汗が出る。呼吸が荒くなる。自分がいま、現実の社会に存在しているという実感が薄れていく。ねっとりと溶けた飴のように纏わり付く空気。私のまわりに透明なガラスが存在するかのように現実は音を失っていく。
何も考えていなくて、同時にひっきりなしに何かを考えている。

私は苛立ち、凶暴な気持ちになる。破壊的で残酷な衝動に駆られる。
何も考えていなくて常に何かを思い巡らせている脳は過去へ向かう。意識が過去へ向かうと私は増々現実に馴染めなくなる。心と意識と肉体がそれぞれに私から乖離していく。自分がいまどこに居て、現実に存在しているのかはっきりとしなくなる。

次第に私の心は、恋しいという感情で埋め尽くされる。何を誰を恋しいのかはわからない。ただ恋しいという心持ちでいっぱいになる。私は恋しくて恋しくて恋しくてたまらなくなる。心が震える。心が引き千切られそうになる。涙が零れる。誰のためでも何のためでもない意味のない涙は止めどなく溢れ出る。

それまで泣いていたことさえ覚えていないみたいに不意に突然涙は止まる。心がひりひりする。凶暴な気持ちが戻ってくる。凶暴な気持ちは外部には向かわない。私の目に映る外部は私にとって何の意味も持たない。ただのジオラマであり幻影であり過去だ。私にとっての唯一の現実は私のこの意識とこの心とこの不明瞭な肉体でしかない。私の狂気は私へ向かう。私は私を消し去るしかないように思う。私は恋しいという思いから逃れたいと思う。無意味な涙を流したくないと思う。

私は死について考える。考えるのではない、普段は遠いところにある死が、突然目の前に現れて私を凝視し続けるせいで死から目を背けられなくなる。死は何も言わない。何も言わずに私は恐怖のどん底へ陥れる。私は死という恐怖に取り憑かれる。真っ暗闇の中で深いぬかるみに嵌って身動きが取れなくなってしまったみたいに絶望的で圧倒的な恐怖に支配される。じわじわとした陰鬱な心持ちになる。ホラー映画や凶悪犯罪のニュースというのではない、本物の本格的な恐怖として死は私を捕える。

私は私の大切な人々が私よりも先に死んでしまうことを考える。そんなことは私には耐えられないと思う。それを回避するためには自分が先に死んでしまうより他に道はないのだと私は結論する。しかし死の恐怖はその結論を易々と実行させてくれない。私は大切な人を失う恐怖と自分が死を受け入れる恐怖の間で煩悶する。

2010/10/04

『オラクル・ナイト』ポール オースター (新潮社/柴田元幸訳)



恰好の読書ソファを得て、読書のペースが格段に上がってしまった。
最低限のするべきことをする時間以外の時間をソファで過ごしてしまう。
週末前に有隣堂@恵比寿アトレ店で、ポール・オースターの『オラクル・ナイト』を買っていたので、賞状技法士の提出課題を終えるとすぐに本格的に読み始めた。
相変わらずオースターはあっという間に読み終えてしまう。もっともっと楽しい時間の中にいたいのに、読み止めることもできずあれよあれよという間に終わりを迎えてしまう。

今回の作品もオースターのキーワードのようなものである(と、私が思っている)偶然と必然というところから物語が始まる。すべてのことに意味があり、その偶然は必然なのだとストレートに投げつけてくる。

たいていの人間はむしろ過去に行きたがるはずだという確信が募っていった。(中略)『オラクル・ナイト』のレミュエル・フラッグは未来を見て、それによって破滅した。自分がいつ死ぬのか、自分が愛する人にいつ裏切られるか、そんなことを我々は知りたくない。でも死ぬ前の死者のことばはぜひ知りたいと思う。生者としての死者に出会いたいのだ。p119


「言葉は現実なんだ。人間に属するものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚がなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人の中にあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事を起こらせることなのかもしれない」p218


物語が終わって、私は自分がニューヨークにいるような錯覚がしたくらい物語に没頭していた。部屋から出て現実の世界が目に入ってきた時ひどく変な心持ちになって、少し混乱して、現実に馴染むまでに時間がかかってしまった。
オースターの小説を読み終えてしばらくしてしまうと、オースター作品は私をこういう心持ちにさせてしまうのだったということを忘れてしまう。そうだ、明るくないんだった、喪失感とかカサカサした切なさが残るんだった、とまた一から思い直すことになる。
でもそれは作品としてちっともマイナスな意味ではない。今回の『オラクル・ナイト』も、とても素晴しかった。オースターの新たな試みによる構成は作品を意味深長にする効果があってよかった。内容も面白かった。

2010/09/29

『きみの鳥はうたえる』佐藤泰志


淡々とした日常。現実離れした会話の言葉遣い。クールな感情。
『海炭市叙景』も『移動動物園』もそうだが、佐藤泰志の文章は不思議な魅力がある。ひんやりとしていて、物悲しくて、切なくなる。
私は時々の状景や心情を表した一文がすごく効いていると思う。たとえば、"街路樹の影は濃く、青みがかっていた。夏でなければ影はそんなふうには見えなかった。p249 " とかいうような。花や果物の香り、気温、そういうものも効果的だと思う。何も起こらないただの状況描写を作品にしてしまうのだから、すごい。
『きみの鳥はうたえる』は、そういう結末になるのか、と驚愕する話だった。

次は『黄金の服』

2010/09/28

新居での生活


まだまだ片付いていませんが、とりあえず生活してます。

キッチンをKEYUCAのステンレスでまとめ、トランクルーム用にHOME ERECTAを発注し、IKEAでロフトベッドやら引き出しやら色々と買い、3D対応のテレビREGZA F1も買いました。
全部揃えようと思ったらあっという間に100万近くかかってしまうので、とりあえずここで打ち止めです。ひとり掛けのソファを叔母が買ってくれていて本当に助かりました。

クラシックを小さくかけて、ソファで毛布に包まって本を読むと、もう立てません。
おやすみなさいって感じです。最高です。

写真はソファとお気に入りのフランシスベーコンの絵画ポスター。

2010/09/24

新居での生活

とりあえず肉体労働が終わった。この一週間で日焼けして傷だらけになった。
新しい家になって、まだ荷物が散乱していて、どうしていくかで相方さんとは衝突ばかりしている。揉めるのがイヤで私から口を開けなくなってきた。怖い。
いろいろ大変だけど、前向きに頑張る。

2010/09/21

引き渡し→引越し→明け渡し

新居が引き渡され、個人での引越しがとりあえず終わった。
今日と明日で今まで住んでいた部屋を掃除して明け渡して、その後から新居の荷物の整理。

新居は思っていた以上に住みやすそうだし、思っていた以上に素敵。

2010/09/16

ついに明日!

ついに明日は引き渡し。と、ついでに入籍。
これまで長いこと一緒に住んでいたので、とくに何も変わらないし、普段は今まで通り八木橋を名乗ります。

引越し先が近いので明日から自転車や徒歩でぼちぼち荷物を運びます。
日曜日に両親と妹と妹の婚約者がワゴン車で参戦に来てくれるので何とか23日の明け渡しに間に合うんじゃないかと楽観視してます。

明日から頑張るぞ!

2010/09/15

あさって新居の引渡し

新居は、シンクも洗濯機も小さくなる。
布団やシーツが干せていた広いベランダもなくなる。広いベランダどころかベランダ自体がなくなる。
ユニットバスのままだし、キッチンスペースにはコーヒーメーカーやトースターや食品やごみ箱を置くスペースすらない。
目と鼻の先にあった八百屋、郵便局、クリーニング店、コインランドリーもなくなる。
いつも走りに行く世田谷公園も遠くなる。

今の家を気に入っているから引越すのが本当に名残惜しい。

新居でやっていけるのか不安で仕方がない。

2010/09/13

『海炭市叙景』佐藤泰志


クレインから出版されている『佐藤泰志作品集』を少しずつ読んでいる。
佐藤泰志はもうこの世にいない。1990年に41歳の若さで自ら命を絶ってしまった。
村上春樹と同い年だということ、そして生きていたらまったく違うタイプでライバルになっていたかも知れないというコメント、さらに私の大学の先輩であること、等々の理由で読んでみたくなった。

最初に収められているのは『海炭市叙景』。
読み始めて、佐藤泰志いいなぁと思った。ちょっとシニカルでブラックで現実的で、でもそれだけじゃなく優しさに似た暖かみもあって、私は結構好きだ。淡々とした文体もいい。
いくつもの短編から成っているのだが、それぞれの短編は海炭市という細い糸で繋がっている。
海炭市に暮らす様々な人々の様々な生活とその思いが描かれている。
ただの日常の一コマ。人生の中のたった一日の数時間や数分の出来事を描いているのに、それだけでその人のすべてを表現してしまう。
とても素晴しい作品だと思う。そしてすごい作家だと思う。

映画化されるので映画もちょっと気になる。
http://www.cinemairis.com/kaitanshi/

『佐藤泰志作品集』クレイン
http://www.amazon.co.jp/佐藤泰志作品集

2010/09/09

マイホームブルー

勝手に名付けました。マリッジブルーならぬマイホームブルー。
あと1週間もしたら引越だというのに、全く実感が湧かない。全然ピンと来ない。
今住んでいるところと目と鼻の先というくらい近いからなのか、新しい部屋が生活感のないデザインされた空間だからなのか、どうにもしっくりこない。
あの家に住むイメージがどうにも浮かばない。
と、今さら言ったところで仕方のないことですが。

住所の変更や、名前の変更や、登録情報の変更、引っ越しましたの連絡、そういうのをやって住み始めたら実感が湧くのかも知れない。

それにしても、8年間住んだ家を出て行くのは、何とも寂しい。

2010/09/07

『海辺のカフカ』を再読して思ったこと

私にとって村上春樹の作品は人生の一部である。
13歳に『ノルウェイの森』に出会って以来、これまでの22年間私の傍らにはいつも彼の作品があった。

私が自分の内にある感情を言葉にできない時は代弁者のごとく言葉に表してくれたし、私がひどく孤独だったり混乱した時は心地良い世界を提供してくれもした。

それぞれの作品にそれぞれの思い出という過去がある。読み返す度にその頃を思い出す。その時の思い出が私の心を過り、その時の自分をまざまざと思い浮かべることができる。

自分と共に歩んでいるモノというのはそんなにないような気がする。
私は私の人生に村上春樹という偉大で素晴しい作家が存在してくれたことをとても幸せに思う。


『海辺のカフカ』と『1Q84』はとても似ている。構成も内容も引用も、似ている。

確固たる愛、それを自らの命に代えても貫き通そうと思う女性、死を望む男、物語を進行するための人物、現実からずれたもうひとつの世界、大きく言えばほとんど同じというくらい似ている。

でも、私は海辺のカフカでは泣き、1Q84では泣かない。

インスパイアされて描く私の絵だって全然違う。
前者はひどく静かなのに対し、後者はひどく騒々しく荒々しい。
たぶん、だから、私は前者が好きなんだと思う。

静かでひっそりとしていて、ひしひしと伝わる何か。誰の心にもあり誰もが共感できるセンチメンタルな部分。私にとって特別な意味合いを持つ記憶についての捉え方。そして死の表現がとにかくいい。

佐伯さんに共感し、カフカ少年に自分を重ねる。
大島さんが所有する森の中の山小屋は私がよく使う長野の山に在るログハウスに重なり、森の記述は私がそこでひとりで居る時に感じることに重なる。
ナカタさんを尊敬し、ホシノ青年に励まされる。
そして何より、大島さんはとてもいいことを言い、カフカ少年同様私もその言葉に救われ、その言葉を心に刻んでおこうと思える。

久しぶりに読んで、山に籠りたくなった。(もちろんそんな時間はいまのところないけれど)
それから、本来の私から少しずれかけていたのが、これまでの私を思い出して少し元に戻ったような気がする。

2010/09/04

『狼の太陽』マンディアルグ短編集(白水uブックス/生田耕作訳)



初めは読みにくかった。
私は詩とフランス文学が苦手だからかも知れない。句点が遠い先にあり、長く続く言葉たちに飲み込まれて物語がまるで頭に入って来ないのである。
しかし、コツのようなものが分かってくると、独特の文体が案外悪くないと思えてくる。物語(内容)を読むのではなく、言葉や文章の幻想的な表現によって生み出される美しさだけを読めばいい。
とはいえ、フランスの貴族らしいその独特の文体はやっぱりちょっと苦手。

2010/09/03

伊勢海老


実家に千葉県の御宿から伊勢海老が届いた。
その日の朝に届いたお刺身で食べられるくらい新鮮なもの。お裾分けしてもらった。
小さい頃からエビ好きの私。お刺身で美味しく頂きました。

2010/09/01

MAISON&OBJECT

パリで開催されるインテリア雑貨の見本市。年2回開催。
前回出展していたmix-styleが、今回もお呼ばれされて出展します。
今日パリへ向けて出発していきました。今頃は空の上です。
いいなぁ、パリ。

http://www.maison-objet.com/

2010/08/31

湘南ガトーアベニュー葦のクッキー


先日、叔母からお土産でもらった、葦のコーンフレーククッキー。
外国のお菓子みたいに甘さが強めで美味しかった。

湘南ガトーアベニュー葦 http://www.ashi-cake.com/