2013/04/28

今日のちーちゃん

もうすぐ生まれてひと月。大きくなったけどまだまだちいちゃい。

よく顔の横に手を添えて寝ている。そういうのはちょっと女の子っぽい。
顔がしっかりしてきたな〜。


「はぁ〜」「ほぉ〜」みたいな口、これもよくやる。
で、それがすっごいカワイイ♡

ばたばたしながら泣いてます。かわいい〜。

2013/04/27

『海景暮色』青山光二(新潮社 / 1993)

1986年10月号の「新潮」に掲載された『海辺の記憶』から1992年9月号「文學界」に掲載された『因島再訪』までの5篇と《えぴろぉぐ》が収められている。
5篇といってもそれで1篇になっているので短篇ではなく長編と呼べるだろう。

最初の『海辺の記憶』は、絵画の話から始まりいつのまにか家族の話になり愛人の話になり、あまりの詰め込み過ぎ感に参ってしまった。
私は読みながら勝手に流れを想像してしまう。
主人公が自分の幼少期の自画像を見に行く話で始まると、その話が自然とふくらんでいくのだろうと思ってしまう。
ところが全くそうならず、しかし最後には繋がってうまくまとめられてしまう。
だから「アレレ?」となる。

1冊読んで、何冊も読んだような気分になった。
ストーリーと構成がよく考えられていて(しかし私にはそれがあまりにもリンクづけされ過ぎているように思う)、よく出来ているなぁという印象はあっても、串田さんや島村さんの作品のようにいい作品だなぁという感想にはならなかった。

その部分その部分はおもしろいし、共感したり、いい文章もたくさんある。それでも私はなんとなくやっぱり、詰め込み過ぎ、細かくリンクづけし過ぎ、という印象の方が強く残った。

2013/04/23

妹のベビーちゃん

私の友人が赤ちゃんに会いに来てくれるというので私も実家へ。
ちょっと見ないうちに少し成長していたが、やっぱり可愛い。
目も開くようになったし、「くくく」と笑ったりもする。
まぁ、ほとんどは静かに寝てるんだけど。


すやすや寝てます。ちょっと大きくなったなー。


 ちっちゃな手。 薄く皮が剥けてる。そういうものらしい。


以前よりもよく動く。


2013/04/21

『堀切直人編 宇野浩二 夢見る部屋』日本幻想文学集成27 国書刊行会 1994

こういうものが幻想文學というならば、私がこれまで使っていた幻想文學という言葉は間違いだったように思う。
つまり、イメージしていたものとは違った。

しかし、宇野さんは明治生まれの人で、芥川龍之介や直木三十五などと同年代の人である。そういうことを念頭において読むと、なかなか新しいものがあるのかも知れない。

宇野さんの作品は物語の内容が面白いというよりは、新しい試みの文章としての面白さになる。

実は私は読んでいるときちっともおもしろいと思わなかった。
ところが、読み終えてからじわじわと気になりだす。もう一度読んでみようかという気にまでさせられる。
どうしてそうなるのかさっぱり分からないのだけど...。
そんな状態だから、私自身が宇野さんを好きなのかそうでもないのかさえ判別し難い。

室生犀星の『蜜のあはれ』なんかは、ちょっと突飛な、ありえない設定だけど私は現実味をしっくりと感じたのに対し、宇野さんのこの本は生活感のある現実的な設定なのに私はまったく現実味を感じなかった。現実の世界でありながらまるでおとぎ話のようだった。あ、だから幻想文學なのか?!

感想を書こうとすると、うーむ、どう書けばいいのだろう、とちょっと首を傾げてしまう。
私にはまだまだ理解できないのかもしれない。

2013/04/09

妹のベビーちゃん

土曜日に退院して来た妹と赤ちゃん。
こんな産まれたての赤ちゃんに触れることなんてそうそう無いから早速実家へ行って来た。

すやすや寝てる。かわいいな〜。


両手を合わせて寝てる。指も長いが、足も長い。妹の旦那さんはのっぽなのでこの子も背が高くなるかも知れない。


まだ目が見えないせいか、目を開ける時は一生懸命で変な顔になる(笑)
無理矢理指を握らせる私。




2013/04/06

妹の子供



3月31日という年度末に生まれた妹の赤ちゃん。
49cm、3000gの女の子。

赤ちゃんというのはすべからく可愛い。
でも、血の繋がった姪っ子はそれ以上に何か可愛く感じるように思う。

指がとっても長いのを見て「これは私に似た」と言ってしまうあたりは伯母バカというものか。

早く小さなあの愛らしい手や足やほっぺを触ってみたい。


2013/04/03

『小さな手袋 / 珈琲挽き』小沼丹(庄野潤三編・みすず書房「大人の本棚」)


小沼丹さんの名前はよく見かけていて、ずっとコヌマさんだと思っていたがオヌマさんだった。

この本には、小沼さんの生前最後に出た随筆集『珈琲挽き』からの46篇に、最初の随筆集『小さな手袋』から選ばれた15篇が加えられて収められている。
選者が庄野潤三さんだから、(2)**の小鳥や草花のことをメインにしたエッセイは、少し庄野さんに似ていると思った。
ちょうど少し前に庄野さんの『うさぎのミミリー』を読んだせいもあって、そう思った。
庄野さんと小沼さんは友達で、どちらのエッセイにも互いのことがよく出てくる。

ふたりとも小鳥や草花を愛おしんでいるのは同じだけれど、私は、庄野さんより小沼さんの方が男っぽくて子供っぽくて好きだ。


(1)*を読んでいる時、あーいいなぁ、いい感じだなぁ、そういう心地で読んだ。
草の上に座ってぽかぽかした陽射しを浴びているような、美しい月夜に木々に囲まれて露天風呂にのんびり浸かっているような、ほっとしてほんわかした心地になる。

そして、ふと、幼い頃の自分や住んでいた家や祖父母を思い出した。
畳や木の床、でこぼこした柱、襖に障子、小さな庭、そういうのがとても懐かしくなった。
ずっと一緒に住んでいた、もう亡くなった祖父母のことを思い出した。
畳に布団を敷いて、祖母に日本昔話を読み聞かせてもらって寝たことや、毎晩呑む祖父の徳利とお猪口や、ごつごつして皺だらけの手やその手が私にいつも添えられていたことや、イナゴの佃煮や野蒜や土筆を食べるという関東平野の田舎の風習まで、昔の思い出がひどく懐かしく思い出された。


(3)***は小沼さんに縁のある人たちにまつわるエッセイで、これも良かった。
『町の踊り場』という徳田秋声についてのエッセイの中で、
昔読んで感心した作品と云ふのは幾つもある。しかし、暫く経つて読み返してみると案外面白くない。こんな筈ではなかつたと云ふ場合も尠くない。秋声の作品は、どうもその逆ではないかと思はれる。最初読んで格別の感銘は無い。しかし、時が経つて二度三度と読むと次第に味が出て来る。殊に晩年の短篇にはそんな所があるやうに思ふが、これは読む方の年のせゐなのかしらん?
と、あって、そうだよなと思った。
年齢を重ねて読むものが変わったり良いと思うものが変わったりする。

だから、小沼さんのこの本も、ようやく草木などに興味を持ち、のんびりとした田舎暮らしに憧れるようになった年齢だからいいなぁと思うのかも知れない。若い人には退屈な本かも知れない。
色々なことを経験してきて、尖った感情というものが擦り減って割合に静かな心持ちになってきたから、じんわり心に沁み入るのだろうと思う。