2015/12/04

長谷川郁夫『本の背表紙』(2007年 / 河出書房新社)


装幀がすごくイイ!! こういうの大好きです。
装幀と本文絵を手がけたのは司修さん。

長谷川郁夫さんは小沢書店(という出版社。てっきり本屋かと思っていました。苦笑)を創立し、文芸編集者として多くの作家さんと関わった方で、その経験から本書は書かれています。

静岡新聞の日曜読者面に連載されていたもので、季節の様々な事柄(多くは作家の命日)から思い附く(思い出す)作家のエピソードが2ページに収められ、春〜冬の4章で成っています。

その短さが読みやすく、また、実際に作家さんと面識があるので、その作家の人となりが分かるのも興味を惹くところです。

知らなかった作家も多くあり(読んでみたいと思っていた作家さんも含め)、作品を引用してくれているのも私には有り難かったです。
どんな文章を書く作家さんなのか事前に知ることができたり、読んでみたいと思ったり。

それにしても2ページによく纏められるものだなぁと感心してしまいます。引用や作家とのエピソードや取り上げた季節の物についてや自身の感想まできちっと2ページに収めているのだからすごいです。


多くの作家(画家や彫刻家なども含む)が登場します。名前さえ知らなかった人もいます。まだ読んでない人や好きな作家もいます。
この本を契機に読みたい作家さんが増えました。

メモとして知らなかった作家さんの名前を挙げておきます。括弧内はメモ。

・高田博厚(彫刻家。田村隆一の奥さんで北村太郎の恋人の和子さんのお父さん。興味が湧いた)
・飯田龍太
・中野孝次(母校(國學院大学)の教授だったらしい)
・吉田健一(読んでみたいと思っていた。引用を読んで、やっぱり良い感じがする)
・渋沢孝輔(ランボー研究のフランス文学者。詩人)
・山本健吉(文芸評論家)
・飯田善國(彫刻家。詩人)
・式場俊三(編集者?)
・平岡篤頼(バルザックなどの翻訳。フランス文学者)

・田久保英夫
・清岡卓行
・塚本邦雄(歌人)
・辻嘉一(日本料理「辻留」料理人)
・永井龍男(江戸っ子作家の最終走者)
・鈴木六林男むりお(俳人)

・後藤明生
・稲垣足穂たるほ(リュナティックな作家)
・日野啓三(文芸評論、ルポルタージュ。のちに小説)
・野々上慶一(古本屋兼出版社・文圃堂の主人)
・大原富枝
・深沢七郎
・山室静(詩人。信州・佐久で堀辰雄らと「高原」を発刊)

・佐多稲子
・中井英夫
・福原麟太郎
・須賀敦子
・中里恒子(横光利一に師事。川端康成、堀辰雄とも親交があった)
・濱谷浩(写真家)
・山口哲夫(詩人)
・中村眞一郎
・武満徹(作曲家)
・磯田光一(文芸評論家)
・円地文子

2015/11/06

桜木紫乃『霧 ウラル』(20115年 / 小学館)


マンガみたいな装幀、ソフトカバーでフランス綴じ。
こういう装幀じゃないと若い人に手に取ってもらえないんだろうなぁ。

物語は海運業界のヤクザの話。
昔の知り合いがこの業界にちょっと関わっていたのでその人のことを思い出しました。海はヤクザの管轄だから、話をしに行く時は強面にして出かけて行くとその人は言っていました。私はあまり良く分かっていなかったけれど、この本を読んでその世界が少し分かったような気がしました。

前回読んだ『ブルース』もイケメンヤクザの話だったけれど、今回もイケメンヤクザです。そしてその男に惚れる女が語り手です。

そういう特殊な話なので、苦手な人や読みにくい人も多いのではないかと思いました。
時代は昭和30年代、舞台は北海道根室。
主人公の女性は地元名士の娘で、家出をして花街で働き、ヤクザな男と結婚して姐さんになる、という人生は入り込みにくいように思います。
でも、小説なのだから、これくらい突飛な方がいいのかも知れません。映画とかドラマとかならこのくらいでないと面白くないのかも知れません。

感想は、珍しく何もないです。
物語は面白かったけれど、なんにも思わなかったです。物語を物語として楽しんだだけです。物語から何か心に強く感じるというのはまるで無かった。

でも、桜木さんの文章が良いので(空気感が素晴しいので)どんどん読み進められました。自分も主人公と同じ時同じ場所にいるように読めました。
それはやっぱりすごいことです。

2015/11/05

磯崎憲一郎『電車道』(2015年 / 新潮社)


 鉄道開発を背景に
 日本を流れた
 百年の時間を描く
 著者最高傑作。

と、帯にあります。確かに「鉄道についての歴史と百年の間の物語」でした。
でも、「電車道」というほど鉄道開発の話というわけではありません。私としてはもっと鉄道に沿ったの方が知らない事を知る楽しみがあってよかったように思います。

途中、ねじめ正一さんの『荒地の恋』を読んでしまい、そちらがものすごく良かったので、戻って来てから何だか物足りなく感じました。『荒地の恋』が実在の詩人・北村太郎の本だったので、『電車道』の人物たちが薄っぺらく感じました。
その前には滝口悠生さんの『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』を読んでいて、こちらが作家の伝えたい思いが情熱を持って溢れていたので、『電車道』の淡々とした物語が物足りなく感じてしまいました。

電車が走り始める頃からの百年の間の話、という意外に何もないのです。
何人もの登場人物が少しずつ繋がってはいるのですが、そこに意味があるわけでもなく、言うほど電車と関係もない。
何というかバラバラとしている感じでした。

文章が読みやすく丁寧なので、面白く読めましたが、私は先の2作の方が良かったです。
鉄道会社を興す男の話は小林一三を思い出しました。


2015/10/30

ねじめ正一『荒地の恋』(2007年 / 文藝春秋)


詩人・北村太郎の話。実話。
家族の了承は得ているらしいです。

Amazonのレビューには受け入れられないという意見も割とありました。
フィクションだったら私も違った感想かもしれません。でも、これはノンフィクションであり、北村太郎という人間の話だと知っていて読んでいるので、私は読んでいる間じゅう胸が苦しくて胃が締め付けられる様に切なくて、最後は涙が止まらなくなりました。

若い人には受け入れられないだろうと思います。人生の終わりが見えるというか、長く生きないと分からないようにも思います。
それから真っ当な人にも分からないだろうと思います。私のように創作側の人間で、精神を病んでいたり色々と抱えている人間でないときっと分からないんじゃないかと思います。
奥さんを捨てる北村の身勝手さに憤慨するレビューも多々ありました。けれども、私はあまりそうは思わず、逆に奥さんや家族や安定というこれまでの幸福すべてを捨てる潔さにただただ驚きました。私は潔く捨てれない。
北村さんは自分にも他人にもまっすぐ正直な人で、お人好しで、強い。
だいたいの人は北村さんみたいに生きられない。嘘つきで、自分勝手で、弱い。

心の病気はだいたいは分かってもらえません。恋愛も。この作品を不倫話と位置づけるのは私は間違っていると思います(私は人が人を愛するのに不倫という言葉を当てることにそもそも疑問を持っている人間なので)。
不倫話にこの本の本質があるわけではないと思うのです。
この本は北村太郎という人間の話なんです。そして彼の周りの人間の話なんです。「荒地」の詩人たちとの繋がりから見る北村太郎。
いいとか悪いとかではなく、北村太郎を知る本だと思います。
彼がどんな人であったのか、どんな人とどんな風に過したのか、彼がどんなことを考えていたのか。

私が泣けたのは彼のまっすぐな生き様が、彼のまっすぐな言葉が、あまりに心に深く刺さってどうにも堪えられなくて涙が溢れたのです。

「愛している」という言葉のまっすぐさ。
「愛した」ことへの責任。

すべてを正面から受け止めることのできる芯の強さ。

たとえば太宰治とは真逆で、北村太郎は生から逃げないのです。
これを読んでから太宰治を読むと、太宰治が女々しく感じてしまいます。


私はこの本を読んで、彼の眼差しや彼の人柄や彼の詩に触れて、北村太郎が大好きになりました。詩集を読んでみたくなりました。

そして、こんな風に書けるねじめさんはすごいと思いました。ねじめさんは初めて読んだのですが、有名なだけあってやっぱり巧い作家さんだと思いました。

2015/10/26

滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(2015年/新潮社)


どことなく太宰治に似たところがあるように思いました。
一人称の長い独白、若さ特有の心情、深い部分への疑問。
そういうところが太宰を思い出させました。

人間の記憶の曖昧さについて、他者との関わりというものについて、思いというものについて、五感というものについて。

小説の時代は現代であっても主題は時代を問わないもので、けれども書き方は斬新さがあって、新しい小説だと思います。
まだ若い作家さん(1982年生まれ)なのに本当にすごいと思います。

要らないなぁと思う部分も多々あったけれど、それでもとても良い作品だと思いました。他の作品も読んでみたいと思いました。



過去がどんどん長くなっていくことを、ちゃんと考えていなかった。考えて見れば迂闊なことだが、そんなこと本当に思いもしなかった。(p35)


同じ言葉であってもその声によって意味は変わる。声によって言葉の意味が変わるのではなくて、声が言葉から意味を葬って音だけになってその音を聞くということか。その声は、音は、時間が経つと消えてなくなる。言葉と文字だけが消えずに残る(p59−60)


思い出される過去を、今という時間でなく、過去の時間のままに思い出すことはどうしてできないものか。(p62)


過去から跳ね返ってくるのは、私がつくった過去ばかりで、そこにあったはずの私の知らないものたちは、過去に埋もれたままこちらに姿を見せない。思い出されるのは知っていることばかりで、思い出せば出すほど、記憶は硬く小さくなっていく。(p109)

2015/10/24

長部日出雄『津軽世去れ節』(昭和47年/津軽書房)



津軽を舞台にした短編6篇が収められています。
太宰治からの津軽繋がりで読みました。

『津軽じょんがら節』と『津軽世去れ節』が特に良かったです。
津軽三味線やじょんがら節の歴史がとても興味深く、面白かったです。津軽弁の会話も味わい深くて良かったです。


〈 津軽には、葛西善蔵、太宰治、という所謂「破滅型」の系譜があるといわれている(p82)〉ことを初めて知りました。

いまのこどもたちが大人になったときに、咽喉をしめつけるようにして声をしぼり出し、抑圧された思いを屈折させて震わせる小節に共感を覚えることは、おそらくないだろう。あるとすれば、それは悪い世の中になっているときだ。が、小節は消えても、かつて人人がヨサレ節に籠めたうたのこころが失われることはあるまいと思う。(p135)

2015/10/20

太宰治『信天翁』(昭和17年発行/昭南書房)


昭和10年(27歳)〜昭和15年(32歳)までに書かれたエッセイ集。装幀は宮村十吉氏。
すごく良かったので2度読みしました。
沢山付箋を貼ったので、いくつかメモしておきます。()内は私の感想。旧仮名遣いは新仮名に換えてあります。


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「敗北の歌」より

鞭影への恐怖、言いかえれば世の中から爪弾きされはせぬかという懸念、牢屋への憎悪、そんなものを人は良心の呵責と呼んで落ちついているようである。

ぼくは新しい理論を創るのだ。美しいもの、怜悧なるものは、すべて正しい。



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「難解」より

文学に於いて、「難解」はあり得ない。「難解」は「自然」のなかにだけあるのだ。



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「書簡集」より

かつて私は、書簡もなければ日記もない、詩十篇くらいに譚詩十篇くらいのいい遺作集を愛読したことがある。富永太郎というひとのものであるが、あの中の詩二篇、譚詩一篇は、いまでも私の暗い胸のなかに灯をともす。唯一無二のもの。不朽のもの。書簡集の中には絶対にないもの。



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「 in a world 」より

芥川龍之介が、論戦中によく「つまり?」という問いを連発して論敵をなやましたものだ、(中略)芥川はこの「つまり」を掴みたくて血まなこになって追いかけ追いかけ、はては看護婦、子守娘にさえ易々とできる毒薬自殺をしてしまった。かつての私もまた、この「つまり」を追及するに急であった。ふんぎりが欲しかった。動かざる、久遠の真理を、いますぐ、この手で掴みたかった。



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「生きて行く力」
いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。(うまいこと言う。くすっと笑ってしまった)



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「創世記」より

愛は言葉だ。おれたち、弱く無能なのだから、言葉だけでもよくして見せよう。その他のこと、人をよろこばせてあげ得る何をおれたちは持っているのか。

言葉で表現できぬ愛情は、まことに深き愛ではない。むづかしきこと、どこにも無い。むづかしいものは愛ではない。

いまの世の人、やさしき一語に餓えて居る。ことにも異性のやさしき一語に。(いつの世も変わらないのだなぁと思う)



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「古典龍頭蛇尾」より(本当は全文引用したい)

 日本文学に就いて、いつわりなき感想をしたためようとしたのであるが、あたせるかな、まごついてしまった。いやらしい、いやらしい、感想の感想の、感想の感想が、鳴戸の渦のようにあとからあとから湧いて出て、そこら一ぱいにはんらんし、手のつけようもなくなった。この机邊のどろどろの洪水を、たたきころして凝結させ、千代紙細工のように切り張りして、そうしてひとつの文章に仕立てあげるのが、これまでの私の手段であった。けれども、きょうはこの書斎一ぱいのはんらんを、はんらんのままに掬いとって、もやもや写してやろうと企てた。きっと、うまくゆくだろう。

「伝統。」という言葉の定義はむづかしい。(中略)伝統とは、自信の歴史であり、日々の自恃の堆積である。

 日本文学の伝統は、美術、音楽のそれにくらべ、げんざい、最も微弱である私たちの世代の文学に、どんな工合いの影響を興えているだろう。思いついたままを書きしるす。
 答。ちっとも。

 日本の古典は、まさしく、死都である。むかしはここで綠酒を汲んだ。菊の花を眺めた。それを今日の文学にとりいれて、どうのこうのではなしに、古典は古典として独自のたのしみがあり、そうして、それだけのもであろう。



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「音に就いて」より

 音の効果的な適用は、市井文学、いわば世話物に多い様である。(中略)聖書や源氏物語に音はない。全くのサイレントである。



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「晩年に就いて」より(本当は全文引用したい)

 私の小説を、読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あまり、おすすめできません。

 あのね、読んで面白くない小説はね、それは下手な小説なのです。こわいことなんかない。面白くない小説は、きっぱり拒否したほうがいいのです。

 美しさは、人から指定されて感じいるものではなくて、自分ひとりで、ふっと発見するものです。



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「答案落第」より

 私は、思いちがいしていた。このレースは百メートル競走では、なかったのだ。千メートル、五千メートル、いやいや、もっとながい大マラソンであった。



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「緒方氏を殺した者」より

 うっとうしいことである。作家がいけないのである。作家精神がいけないのである。不幸がそんなにこわかったら、作家をよすことである。作家精神を捨てることである。不幸にあこがれたことがなかったか。病弱を美しいと思い描いたことがなかったか。敗北に享楽したことがなかったか。不遇を尊敬したことがなかったか。愚かさを愛したことがなかったか。



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「一歩前進二歩退却」より

 日本だけではないようである。また、文学だけではないようである。作品の面白さよりも、その作家の態度が、まづ気がかりになる。

 作家の私生活、底の底まで剥がそうとする。失敬である。安売りしているのは作品である。作家の人間までを売ってはいない。



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「正直ノオト」
藝術に、意義や利益の効能書を、ほしがる人は、かえって、自分の生きていることに自信を持てない病弱者なのだ。



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「春の盗賊」より

小説の中に「私」と称する人物を登場させる時には、よほど慎重な心構えを必要とする。

フィクションを、フィクションとして愛し得る人は、幸いである。けれども、世の中には、そんな気のきいた人ばかりも、いないのである。

くるしいことには、私は六十、七十まで生きのびて、老大家と言われるほどの男にならなければ、いけない状勢に立ちいたってしまったのである。私はそれを、多くの人に約束した。あざむいてはならぬ。(31歳の時はこんなことを書いていたのかと驚いた)



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「諸君の位置」より

いまは、世間の人の真似をするね。美しいものの存在を信じ、それを見つめて街を歩け。最上級の美しいものを想像しろ。それは在るのだ。学生の期間にだけ、それは在るのだ。




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「義務」より

どうも、私の文章の vocabulary は大袈裟なものばかりで、それゆえ、人にも反撥を感じさせる様子であるが、どうも私は「北方の百姓」の血をたっぷり受けているので、「高いのは地声」という宿命を持っているらしく、その点に於いては、無用の警戒心は不要にしてもらいたい。

義務が、私のいのちを支えてくれている。



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「自信の無さ」より

私たちは、この「自信の無さ」を大事にしたいと思います。卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から前例の無い見事な花の咲くことを、わたしは祈念しています。



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「作家の像」より

 随筆は小説と違って、作者の言葉も「なま」であるから、よっぽど気を附けて書かない事には、あらぬ隣人をさえ傷つける。



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「かすかな声」より

 甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。


「生活とは何ですか。」
「わびしさを堪える事です。」


自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。


「藝術とは何ですか。」
「すみれの花です。」
「つまらない。」
「つまらないものです。」

「藝術家とは何ですか。」
「豚の鼻です。」
「それは、ひどい。」
「鼻は、すみれの匂いを知っています。」



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山崎剛平 随筆集「水郷記」

「貪婪禍」は「どんらんか」で良いのかしら?


2015/10/19

島本理生『匿名者のためのスピカ』祥伝社 (2015年07月23日発売)



眠る前に少し読もうと思ったのに最後まで読んでしまいました。

現代の小説は文章も読むというのではなく物語を追うのであっという間に読み終えます。よくできたお話を聞いているような感じです。

大正から昭和初期の小説だって物語なのに、こちらの方が文章を読んでいるという感じがします。小説の中に書き手の存在があり(存在を感じ)、一文一文が美しく景色があり、余韻があるようにも思います。
現代の物語の方が物語内容重視という印象です。

2015/09/16

伊藤整『若い詩人の肖像』講談社文庫



叔母と一緒にいる時にこの本を出して読もうとしたら、「伊藤整の代表作って何?」と問われて困ってしまった。
伊藤整の名前は有名だし、学校で習う人物なのに代表作というものが浸透していない作家であるように思う。そもそも伊藤整という人物について学校ではどのように習ったのかも覚えていない。
私が伊藤整の作品を読むのはこの本が初めてで、全くと言っていいくらいに伊藤整自身のことを知らずに読んだ。

とても興味深くおもしろかった。
少しのフィクションと架空の人物があるらしいが、ほぼ伊藤整の自伝的小説で、伊藤整の関わった多くの作家たちの繋がりがとても興味深かった。
伊藤整と同じ学校に小林多喜二がいて、伊藤整の自伝でありながら小林多喜二についても識ることができる。
同じ様に芥川龍之介や梶井基次郎や高村光太郎やその他たくさんの作家たちの一面を見ることができる。それが本当におもしろい。
他人(友人や同僚や作家たちなど)についての伊藤整の書き方は評論のような書き方で、一刀両断まっすぐな意見を述べ、作品と創作への考え方を含めた性格を前面に推した書き方をしているのが素晴しいと思う。分析するのが得意な伊藤整だからできたことだと思う。
この本の中で小林多喜二らたくさんの作家たちはみんな生きていて、その魅力を存分に振りまいている。そこがこの本の一番の魅力に感じる。

この時代の北海道の風景や生活もとても興味深かったし、その時代の文壇についても興味深かった。

伊藤整青年の性格や考え方に共感するところもあった。若い頃の、絵でどうにか有名になりたいと願っていた頃の自分と重なる部分が多々あり、読みながら「わかるな〜」と唸ってしまうようなところがいくつもあった。

明治大正文学が好きな方にはおススメの本。読んで損無しの一冊。

2015/08/31

山田稔『天野さんの傘』編集工房ノア・2015年7月発行


やっぱり山田稔さんの文章は読みやすくて好きです。
老人のエッセイという部類で考えると、庄野潤三さんよりは堅く、串田孫一さんよりはくだけた感じ。私の中では洲之内徹さんと山田稔さんは同じ匂いがします。

私は自分がじめっとしている分、からっとした男性的で、クールで、客観的な文章が好きです。
山田稔さんの文章は、「ちょうど良い塩梅」だよなぁといつも思います。
庄野潤三ほど女っぽくなく、串田孫一ほど堅くなく、長谷川四郎ほど線が細くなく、洲之内徹よりは近しい感じがし、室生犀星のような飄々としたところがあり、外国文学の良いところも感じ、エスプリとニヒルとドライのスパイスも多からず少なからずのいいバランス。

山田さんはいいとこどりの文章を書く人だと思います。
そんな山田稔さんの文章スタイルが出来上がる元となった話などが書かれていてとても興味深く読みました。

どの話も興味深く、胸に残る文章でした。

装幀も好きです。装幀は林哲夫さん。



*  *  *  *  *  *

本書に書かれていた作家や作品のメモ(追々読みたい。読んでいない人や知らなかった人など色々)


生島遼一 随筆集『鴨涯日日』『鴨涯雑記』 エッセイ集『水中花』 翻訳(フランス文學)『クレーヴの奥方』『赤と黒』『感情教育』

伊吹武彦 『ベレー横町』

黒田憲治 翻訳 ポール・アルブレ『伝記スタンダール』 ゾラ『居酒屋』

松尾尊允『中野重治訪問記』

シャーウッド・アンダスン『女になった男・卵』

クロード・モルガン『人間のしるし』
ヴェルコール『海の沈黙』
アグネス・スメドレー『女一人大地を行く』
丁玲『シャーフェイ女史の日記』
パール・バック『黙ってはいられない』

2015/05/27

北陸旅行(23 - 24 /05 /2015)


サイトの旅行ページに北陸さんぽをアップしました。

http://sachiko-yagihashi.com/recordoftrips_html/hokuriku_html



兼六園 



《ひらみぱん》のランチ。ケーク・サレ。



《ひらみぱん》でお土産に買った抹茶スコーンとパン・オ・フリュイ。
抹茶スコーンがすっごく美味しかったです。


2015/05/13

フランス旅行の記録 ②(26 /04 /2015)


連日旅行の記録をまとめる作業をしていますが、膨大な量なので時間がかかっています。

出来次第こちらにもリンクを貼っていきます。


Place de la Concorde



Musée d'Orsay



Hôtel Le Compostelle






2015/05/12

2015/05/08

『ブルース』桜木紫乃(2014年/文藝春秋)



エロ描写が多いけど、桜木さんらしい空気感はそのまま。
こういう『繋がりのある短編小説』を書くのが桜木さんはうまい。
ひとつひとつは微妙かもしれないけど、全体の繋がりでみると「うまいなぁ」と、思う。

ひとりの男とその男に関わったたくさんの女たち。

自分も誰かの物語の一部なんだよな。


読んでいて色々な個人的なことを思い出して苦しくなって悲しくなって勝手に涙が出た。

沢山の女性と付き合ってきたセックスの巧い男性のことや、昔付き合っていた男性のことを思い出して、恋しくなって悲しくなって苦しくなって一度涙がぽろりと零れたら止まらなくなってわんわん泣けてしまった。
雪山で自殺するイメージやセーヌ川やドナウ川で身投げするイメージが離れなかった。

物語の内容にというのではなく、桜木さんの文章が醸し出す暗さや孤独感みたいなものに、私の心がすっぽりと取り込まれてしまったんだと思う。

相変らず冷たくて閑散とした世界だった。湖に浮ぶ月みたいな小説。
やっぱり桜木さんの小説は好き。私に合っていると思う。
私が描きたい世界の文章版。

この装幀は小説のイメージに合っていると思う。
こんな感じのモノクロームが似合う感じ。
人のいない駅のホームというのは内容に沿ったモチーフ。


人生の断片でありひとりの人生の記録である小説。

2015/04/23

『離陸』絲山秋子(2014年/文藝春秋)



読み初めたときは「こっちの方が桜木紫乃さんぽいな」と思った。そして少し読み進めてみると「いや、これは村上春樹さんだ」と思った。

2/3を読んだ時点で私の印象の絲山さんは少しも無かった。むしろ村上春樹さんを読んでいる錯覚にさえ陥った。

村上さんの書く《ぼく》に『離陸』の《ぼく》は非常に似ていると思う。
知的で女性にもてる(本人はそう思っていないのに)感じとか、社会との距離感とか考え方とか、女性への接し方とか、すべてが《「やれやれ」というあの村上節のぼく》に似ていると思った。
文章の感じもトーンも村上さんにそっくりだった。

私は村上春樹さんが好きで中学生からずっと読んで来た。村上さんの作品の中に出て来るような、静かで知的で孤独な人間に憧れてきた。本当に『離陸』の2/3は村上春樹さんの作品みたいでちょっと驚いた。そして村上春樹好きとしては面白くてぐんぐんと読めた。

ところが残り1/3になって、全体が散漫になる。無理矢理終らせようとする気配がある。
2/3が面白かっただけにとても残念に感じた。うまく言えないけれど、どんどんと陳腐になっていくような感じがした。
何となく勿体無いなぁと思った。

だから全体の感想がとても難しい。

2015/04/19

『それを愛とは呼ばず』桜木紫乃(幻冬舎/2015年)




何となく、これまで読んだ桜木さんの感じとは違った。
相変らず桜木さんの小説は暗いのだけど、今回のこの『それを愛とは呼ばず』はいつもにまして暗い。そして重くて、とにかく怖い。暗い、重い、怖いという小説。

これまでの暗さはそれでも澄んだ水のような感じがした。キンとした冷たさ、底が見えるほどの透明感、星の光を反射させてキラキラと揺れて輝く水面。
でも今回の暗さはずしんとくる。垂れ込めた低い雲、なま暖かくまとわりつくような空気、血や土や消毒液などのイヤな臭いがする。
それだけ桜木さんという作家がすごいということでもある。いや、本当に、すごい作家さんだと思う。
私は『氷平線』の方が好きだけれど、『それを愛とは呼ばず』はすごい作品だと思う。前半、読みはじめた時は「桜木さんぽくないなぁ。あんまり好きじゃないなぁ」と思ったけれど、後半はすごい。どんどん暗くなって重くなって怖くなる。

しかし、本当に怖い話だった。あっという間に読んでしまったのだけど、あまりの暗さと重さと怖さに、読み終えてから私の精神が悪くなってしまって動悸と目眩を起して慌てて精神安定剤を飲んだくらい。
心の弱っていないときに読むことをおススメします(苦笑)


装幀が素敵。好きです。

2015/04/17

『太宰治との七年間』堤重久(1969年/筑摩書房)


すごく面白かった。
人間太宰治を知ることが出来るおススメの本。

著者の堤重久さんは太宰の弟子であり、『正義と微笑』の中のお兄さんである。事実『正義と微笑』は堤さんの弟さんの日記を元に書かれたものだということは聞いて知っていた。でもどんな師弟関係だったのかは知らなかったので、本書はとても興味深く読むことができた。
読み始める前にまず巻頭のモノクロ写真を見て、「なんていい写真なんだろう」「太宰治ってこんなに穏やかに笑うんだ」と、感極まった。

太宰治の装丁をやる前に読めればよかった。太宰自身がどんな気持ちで作品を書いたのか、どんなことからその作品ができたのか分かっていたら装丁も違ったものになったのにと思う。
元々の太宰治の本の装丁はそれほど力の入ったものがない。それについてもこの本の中で太宰自身がこう言っている。
「おれは、不運な男でねえ。いつでも、おれの本の装幀は不出来なんだ。なにもかも、任せっきりで、注文つけないせいもあるんだがーー。この『千代女』など、ま、出来がいい方だね。装幀者が、めっぽう、力を入れてくれたらしいんでね」(p53)
へえ、そうなんだ、と、面白く思った。それから、どこに書かれていたのかさっぱり見つけられないのだけれど、何かの本の装幀を有名な誰かに描いて貰って喜んでいるというのもあったはずで、子供みたいな人だと思った。

これを読んで、太宰治という人間が普通に生きていたということに気付かされた。作品を通しての太宰ではなく、弟子の堤さんから見た、生活していた太宰治。当り前のことなのに普通の人間としての太宰治がいたのだということにハッとした。下ネタを言って酒ばかり飲んでよく喋る太宰治。根っこは作品から受ける印象の太宰だけど、喋っている生きている太宰はやっぱり作品とは違う。
苦悩の人、心を病んで自殺した太宰治、という印象が一変する太宰治の姿がこの本にはあった。
だから私はそんな太宰治に会って何だかホッとした。救われたというか安心したというか、ただただ「ああ、よかったなぁ」と何故だか安堵して、楽しく読んでいた。

ところが、最後の方になって山崎富栄さんが出て来ると、彼女と心中することを知っているから次第に楽しく読めなくなってしまった。こんなに愛すべき人なのに、子供みたいな人なのに、書くことが大好きな人なのに、何故自ら命を絶たなければならなかったのだろう、と悲しくなった。死んで欲しくないと思って読み進めることができなくなってしまった。
心と体を壊してゆく姿が苦しくて辛かった。

肺を病んで余命わずかだと思っていたというのも知らなかった。それで自殺なのか、と納得がいった。

太宰先生と堤くん。ふたりのとてもいい関係が、読んでいてとても気持ちが良かった。

2015/04/07

『若きピカソのたたかい』ガートルード・スタイン著(植村鷹千代訳 / 新潮社・一時間文庫)


ほとんどの文章にマーカーを引きたくなるくらい全てが興味深く全てがなるほどと思う本だった。

ただでさえ薄い本の1/3は絵画の写真なので(これがカラーだったらもっと良かった)、読み物としては短い。
それでも素晴しい本だと思う。

ピカソについてだけでなく、人種によるアートの捉え方や人種による元々の性質についてや時代とアートについて等々、様々な面で著者の考察はとても分かりやすく納得出来るものばかりだった。

特にピカソがスペイン人であることに留意しているところが私にはしっくりきた。私もピカソは実にスペイン的だと感じていたし(著者のように説明できるわけではなく直感的に「ピカソはすごくスペインぽい」と感じていた)、人種による感覚の違いというのがあると考えているので、著者の意見に納得する事ばかりだった。

作者のガートルード・スタインは自身で言っているが、文章におけるキュビストであり実際にピカソと親交のあった人物で、彼女だからこそ書けるピカソ論であるところがいい。

訳者の植村鷹千代氏があとがきで書いているが、まったくその通りだと思うので少し引用しておく。

「多量なピカソ論の中でスタイン女史のこの本はまことにユニイクな本である。(中略)ピカソの藝術を、二十世紀という世紀の現實のクリマとスペイン人としてのクリマとの一致ということの上に焦點をつけて論じているスタイン女史の論旨は大變異色のある論旨だが、この論旨はピカソ藝術が何故に二十世紀の繪畫史の上で偉大な勝利を獲得したかということ、なぜ二十世紀の繪畫がフランス人の手で典型的に創造されなかつたかということを理解する重要な鍵に触れていると思われるのである。」

おススメの1冊。

2015/04/03

今村 文 個展 『見えない庭 the Invusible Garden』


ITmedia名作文庫で田山花袋の装丁画を担当してもらっている今村文さんの個展のご案内です。
今村さんはITmedia名作文庫の装丁画に参加して欲しくてお願いした作家さんです。
田山花袋の『生』では、蜜蝋を使った作品を描いてくれました。

お近くの方、もしくはちょうど金沢に行かれる予定のある方は是非素敵な今村さんの作品を生で見てください。


今村 文 Official website → http://imamurafumi.weebly.com/





今村 文 個展
『見えない庭 the Invusible Garden』

2015年4月3日(金)〜 27日(月)10時〜17時

山鬼文庫

石川県金沢市桜町5−27
tel: 076-254-6596
金・土・日・月のみ開館(火・水・木 休)

4月3日(金)19時オープニング
オープニングトーク 19時半

在廊日 3日(金)、4日(土)、5日(日)、27日(月)

山鬼文庫は浅野川沿いに建つ町家を利用した私設図書館です。


アクセス
北陸鉄道バス
金沢駅、武蔵が辻、香林坊、兼六園下経由
90、91、92、93、94、95番
暁町下車徒歩5分

タクシー
金沢駅より10分、兼六園下より6分、東山より7分

徒歩
兼六園下より20分

駐車場3台



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ITmedia名作文庫 http://classics.itmedia.co.jp/







1904年の評論「露骨なる描写」と1907年の短編小説「蒲団」で自然主義文学をリードした田山花袋が、「平面描写論」のさらなる実践として、1908年、読売新聞に連載した自伝三部作の第一部に当たります(第二部は日本新聞に連載「妻」、第三部は毎日電報に連載した「縁」)。友人でライバルの島崎藤村が同時期に朝日新聞に「春」を連載していたこともあり、世間の注目を集めました。「生」では、明治時代前半までの田山家(作中では吉田家)の歩みと、癌を病む母の介護と死をきっかけにして、家族が再生していく様子が描かれており、老いた親との同居と介護という今日性のあるテーマが特徴的です。ITmedia 名作文庫では、『生』(易風社、1910年3月15日発行第3版)を底本に、2010年の常用漢字改定に照らし合わせ、現代仮名遣いへ改めました。底本は総ルビのため、当て字を除き常用漢字のルビは削除しています。
  • 発売日
  • 価格300円





2015/01/04

明けましておめでとうございます


今年もどうぞよろしくお願い致します。

今年は前半で装丁の仕事が一段落するので、その後は叔母の作品を使ったグッズ製作をしようかなと思っています。


皆様にとって素晴しい1年でありますように!

私が版画で作った年賀状


叔母の作品