2011/12/26

ギャラリーカフェバー縁縁 常設アーティストコラボ展『ルーツ』



恒例のコラボ展。テーマは『ルーツ』


初期の作品と最近の作品ということで、16年前に描いた油絵と好評の椅子の絵を展示することにしました。


この油絵以外油絵は描いておらず、これを見るたびにやっぱり油絵をやりたいなぁと思ってしまいます。
16年前のこれを描いた頃は、まだ私は自分自身の心のコントロールができないでいました。いろいろとあったし、いろいろとしでかしたし、あの頃は今のような自分が存在することなんて全く想像していなかった。
当時はこんなような感じの絵ばかり描いていました。




期間は12月27日(火)〜1月15日(日)[ 12/29〜1/3は年末年始のためお休み ]


お近くへお越しの際はどうぞお立ち寄りください!








http://enyen.jp/

2011/12/25

JTのキャンペーン



JTのキャンペーンで『JTブランド特製Zippo』が当る、というのがあって、
旦那さんが欲しがっていたからこっそり送っていたら当選した。


そして、その商品がなんと昨日届いた。いいクリスマスプレゼントになった。
すごく喜んでくれたので私も嬉しい。


それにしても今年はいろいろと当る確立が高かったなぁ。





昨日のディナーメニュー



チキンの野菜ロール、クリームシチュー、サラダ、TRASPARENTEのパンとケーキ(ケーキは写真撮り忘れた。大好物の "いちごとピスタチオのタルト")





2011/12/24

MERRY CHRISTMAS ☆


おともだちのイラスト



Maoriちゃんの友達と友達になった。
Maoriちゃんが素敵ならそのお友達もやっぱり素敵。
ふたりともいつも描きたくなる服装のオシャレさん。


その彼女がMaoriちゃんの個展に来た時の恰好が可愛かったのと、
もともと描きたかったのでイラストを描かせてもらった。


私が勝手に描きたくて描いたのに、お礼といってカワイイ靴下を頂いてしまった。
ありがと ´ `





2011/12/22

お祝いにもらったバスタオル



昨日、知人から御祝いを頂いた。ガーゼのバスタオルなんて初めて。
そして、クリスマスカラー! どうもありがとう☆



2011/12/18

イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』(松籟社・イタリア叢書Ⅰ/脇功訳)





このところ日本のものばかり読んでいたから、この本を読み始めて「あぁ、こういうのが読みたかった!」と思った。
カルヴィーノの、言葉遊びならぬ文章遊びの小説は、ここのところ読んでいた日本の小説やエッセイとは全く違っていて、本を読んでいるという幸せ感がある。

読み始めて少しして、ふと、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』はカルヴィーノに影響されたのかなぁと思った。『冬の夜ー』が1981年で『世界の終わりー』が1985年だから、なくはないと思う。
私の中でカルヴィーノと村上春樹はどこか少し似ているような気がする。というか共通する何かがあるような気がする。

そう感じたから、Wikipediaで<幻想文学>を見たら、 [日本における受容] という項目に、村上春樹、平野啓一郎、いしいしんじ、と私が好きな日本人作家の名前が全員あった。恥ずかしながら同じジャンルに括られるのを初めて知った。
私はこのジャンルが好きなのかというのも知った。


この『冬の夜ひとりの旅人が』の構成は本当におもしろい。
『宿命の交わる城』も驚嘆の発想と構成だったけど、『冬の夜ー』は読みやすいところがいい。
今にして思えば、その時は挫折した『柔らかい月』もやっぱり発想が素晴しかったし、おもしろかった。

日本の小説やエッセイをばかり読んだあとでは本当にカルヴィーノはおもしろいと思う。スポンジに水が吸収されていくように、ずんずんと読書のおもしろさが私の中に染みていった。

この『冬の夜ひとりの旅人が』という本は、小さなカンバスに描かれた絵が何枚も集まってひとつの大きなカンバスを作っているような本である。
本という形の大きな絵はふつうの場合近づいてみればその絵の断片が見える。しかしこの本の場合近づいてみるとそこに見えるのは大きな絵の局部ではなくそれぞれに異なる様々な絵なのである。
この本は【 1枚の絵 】ではなく【 1つの美術館 】のようなものなのである。

私はカルヴィーノに、ルネサンス〜バロックの絵画、光と影のくっきりとした鮮やかな色彩を、思い浮かべてしまう。
ティッツィアーノやルーベンスやレンブラントのような絵が頭に浮かぶ。
文章自体は実際にはもう少し近代の絵なのだけれど、全体像としての印象は私の内では何故かバロック絵画になってしまう。

絵画の中の人物たちが織り成す物語。そんなふうに感じる。
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と、ここまでが読み始めて思った感想。次からは読み終えてからの感想。


小説の中に出てくる小説「絡みあう線の網目に」は、『柔らかい月』にちょっと似ている気がする。
うっかりすると文字の表面をするすると滑っていてしまってまるで頭に入って来なくなってしまうから注意しなくてはいけない。
そしてこの辺りからこの本は最初の頃とは姿が変わってくる。
男性読者が "あなた" であったのが一度だけ女性読者が "あなた" に変わるところがある。
それを機に、この本の本当の姿が露になってくる。カルヴィーノがこの本でしたいこと、提示したいことが見えてくる。
そして先にあるような感想はなくなって、奥に秘められている真の何かを読み取らなければという思いと、なるほどなるほどと提示される考えに感心したり、文章が生み出す物語のおもしろさにただただ没頭してしまうのとで埋められてしまう。
作家と読者の関係性についてのカルヴィーノの考え方。ひいては物語というものについて、書くということについて、読むということについて。

ルドミッラとして出てくるカルヴィーノの言う女性読者の考え方に私はとても共感する。
自分と同じようなところが多いと感じる。

要するに、あなたはもう一度読み直す読者ではないようだ。あなたは一度読んだものはとてもよく覚えている(それはあなたが自らのことについて明らかにした最初の事柄のひとつだ)、おそらくあなたにとってはあらゆる本が、ひとたび読んでしまうと、ある特定の機会に行なったその読書体験と同一化してしまうのだ。そしてそれを記憶の中に大切にしまいこむのと同じように、物としてのその本も自分のそばに置いておくのが好きなのだ。(p184より)

「その女性にとっては」とアルカディアン・ポルフィリッチはあなたがいかに関心をもって彼の言葉に聞き入っているかを見てとってなおも続ける、「読むということはあらゆる思惑や先入観を棄てて、期待するところが少なければそれだけよく聞こえてくる声を、どこから来るのかわからないが、本の彼方の、作者の彼方の、慣用的な文字の彼方のどこかから来る声を。語られていないものから、世界がまだおのれに関して語ってはいず、またそれを語るための言葉を持ってはいないものから来る声を聞き取ろうとすることにあるのです。一方、彼の方としては、書かれたページのうしろになにもないことを、世界は人為的な技巧、虚構、誤解、嘘としてしか存在しないことを彼女に示したかったのです。(中略)《(略)彼は私にこう言いました。────文学には私が力を及ぼすことのできないなにかが起こるのです》(p309-310より)

そして最後の結末がいい。考え方の、物語の、きちんとした完結がそこに提示される。

本当に傑作。本当に素晴しい本。

それで、流れでウンベルト・エーコが読みたくなって『フーコーの振り子』を購入。現在読んでいるところ。

2011/12/16

野見山暁治展 @ブリヂストン美術館



野見山暁治展へ行って来た。


野見山さんのエッセイの中で見たことのある絵が何枚もあった。
本で見た時はそうでもなかったけれど実物はすごかった。


私はパリ時代の絵が一番好きだけど、最近のものもしばらく眺めていると良くなってくる。


どの作品も大きい。だから遠くから見た方がいい。でも部屋は広くない。
そんなわけで私は二つ先の部屋にある絵を見たりしたし、部屋の中でもできるだけ離れて絵に向かった。
近くで見ると絵の持っている大事な何かが伝わらない。遠くからぼーっと見るのがいい。
真正面よりもやや斜めから見るのがいいと思う作品もあった。


印刷物と本物でこうも違う画家というのは久しぶりというか初めてだった。
印刷物になると絵の持っている何かが失われてしまう。


見に行って良かった。






こちらはブリヂストン美術館のショップで買ったマウスパッド。
真ん中の透明な部分に好きなカードを入れられる仕組み。すごーい!
大好きな佐伯祐三さんの絵のカードを入れてみました。



2011/12/11

皆既月食



昨晩の皆既月食。


首が痛くなるくらい真上に、遠く見える赤い月。
興奮しました。


昨日は星もたくさん見えてて(と言ってもオリオン座しか知らないんだけど.....)
ほんとうに綺麗な空を感じました。


コンパクトカメラではこれが限界´ ʌ ` (一眼レフ欲しいなぁ...)




木と木の間に見える白い点のようなものが月です


ズームアップしてみるとこんな感じ。本当に赤い(赤錆色っぽい色合い)。


さらにズームアップ(かなりぼやけちゃったけど)。神秘的な色です


2011/12/10

Maori's Accessories



昨日Maoriちゃんのところに行ったので、この間の個展の時に購入したタイピンとブローチを受け取ってきた。


一目惚れしたミモザの写真を使ったブローチ。
型はアメリカから輸入しているそう。





帰宅した旦那さんにタイピンをつけてもらったら、お気に入りのピンクのネクタイにぴったりだった。


他の色のネクタイには、別にあったモチーフの大きなタイプの方でも良かったような.....。
見てるのと付けるのとではだいぶ違う。
案外派手かなぁと思うくらいのでちょうど良かったりする。









2011/12/05

大川美術館『松本竣介とその時代』展



土日に長野へ林檎を買いに行くついでに、群馬県桐生市にある大川美術館へ行って来た。
桐生は実家から車でさほど遠くないので、長野へ行く途中で寄り道をしてもらった。
大川美術館は水道山という山の頂にあり、やっぱり電車で行くにはとっても不便そうな場所にあった。
母情報によると美術館は元々保養所だったらしく、小部屋と大部屋の組み合わせになっていて、いい感じのギャラリーになっていた。


まず小さな部屋に松本竣介の時代に活躍した画家や親交のあった画家が並び(一番最初には長谷川利行、続いて熊谷守一や寺田政明や麻生三郎や難波田龍起、靉光、今西中通、曾宮一念などなど。野見山暁治さんもあった。井上長三郎さんの「壺」がすごくいいなと思った)、竣介の初期作品やデッサンや小さな作品へと続いていく。
そして広い部屋には青と茶の時代の大きな作品がお目見えする。


私が知っている松本竣介は、洲之内さんの「気まぐれ美術館」に登場するものしかないから、広い部屋に飾られた、線を排除し色で捉えた新しい試みの作品やシャガール風の町のシリーズやイラスト付きの手紙を見て随分と松本竣介像が変った(見れて良かった)。


私の好きな松本竣介作品の、暗い茶系色彩で描かれた建物のある風景(「ニコライ堂の横の道」や「Y市の橋」など)の作品群もあった。
このシリーズの「工場」という絵を見て、やっぱり油絵はいいなぁ、油絵をやりたいなぁと思った。薄く乗せた油絵の具が生み出す表情はアクリルでは出せない。でも、一人暮らしでない住居で油はキツいから油絵はやらないでいる。でも、やっぱりこういうのを描きたいなぁと思ってしまった。


父と母は、連れて行ってと頼んだ本人の私よりもじっくりと作品を見るので、私はちょっと申し訳ない気分になる。でも、連れて行ってもらえて良かった。
すごくいい企画展だった。



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うちがいつもりんごを買う<マルヒ農園>の木箱。
今年のりんごは小振りだけど美味しい。


長野へ行く途中の高速道路から見た雨上がりの空。雲の姿が美しい。



実家へ帰る途中、実家の近所。車の中から。ものすごく綺麗な空の色。




帰り道。上の写真と同じ時に撮ったもの。夜と夕方の境は見飽きない。








2011/12/01

Maoriちゃんの写真のパネル



Maoriちゃんの写真のパネルを買った。


本当は天井の高い寝室の壁に飾りたいのだけど、まだピクチャーレールをつけていないのでとりあえず玄関の壁に居てもらうことに。


足もとのドライフラワーの赤と葉っぱの赤で明るい玄関になった。






2011/11/29

Maori's Exhibition @中目黒







もっと早くブログを書けばよかったのに、もう明日で終わるって時に書いてます。


先週の金曜から中目黒のさくらギャラリー(目立つ大きい方のではなく)でお友達のMaoriちゃんが個展をやっています。


maori web site → http://maori-tone.com/


私は前日からお手伝いをさせてもらっています。
毎日ギャラリーにいて、沢山の人に会ってとっても楽しくしています。
Maoriちゃんと同じように写真をやっている人や、私と同じように絵を描く人もいて、そういう人と話すと刺激になります。
それに大好きなMaoriちゃんの写真に囲まれていい気分です。




ミモザの写真を使ったブローチと片耳ピアス(写真)と、旦那さんに東京タワーの写真のタイピンと、大きな写真のパネルを買いました。
今日は写真の片耳ピアスをしていたら同じものがいいと言って買われた方がいて嬉しくなります。


ブローチとタイピンは個展終了後に作るのでまだ写真がないのだけど、パネルは明日うちにやってきます。
壁に蔦が這っていてそこに赤い葉が印象的な写真で、うちのコンクリートの壁(もしくは真っ白の壁)に合いそうなので楽しみ。



2011/11/26

田中小実昌『ポロポロ』『香具師の旅』(河出文庫)



田中小実昌ってブコウスキー系なんだ(大きく言えば、だけど)。読んでみてそう感じた。


 『ポロポロ』『香具師の旅』、どっちがおもしろかったか決められない。
 話の内容、つまり物語という点では『香具師の旅』の方がおもしろい(と私は思う)。
 『ポロポロ』は最初の『ポロポロ』以外は戦争に言った時の話。物語としては戦争体験記。
 だけど、ただの戦争体験記ではなく作者の視点が独特で、文調も独特で、好きな人は好きだし、こういうのこそ文學だ!という人もいると思う。
 私はそういうのとは別で、後半の、<物語>というものについての持論はすごくおもしろいと思った。文章が<物語>にならないように、と意識して書いている。あるものをあるがままに、出来事を出来事として、<物語>にはしたくないんだと言いながら物語を書いている。そういう矛盾撞着的なところが興味深かった。



::::: 余談 :::::

 先日、法事で実家に帰った時、私は『香具師の旅』を持っていて、それを見つけた叔父が「田中小実昌なんて読んでるのか! 今時、田中小実昌を知ってるやつなんているのか?」と、なぜか大ウケされた。
 叔父は私が案外もういい年だってことを忘れているのかも知れない。
 叔父の年代(叔父は見た目が40そこそこだからいつも年齢が分からなくなるのだが、たぶん55歳くらい)では、田中小実昌さんは誰でも知っている有名人だったみたいだ。 叔父の持つ田中小実昌イメージと、私が持つ田中小実昌イメージとはまるで違う。
 叔父のイメージは11PMに出てた田中小実昌で、私のイメージは野見山暁治さんの義理の弟、風変わりな、俗っぽいのだけれどそれを極めた感じのする物書きとしての田中小実昌。
 それぞれが持つイメージの相違ということについて不思議だなぁと思った。色々なことをぼんやり思った。私はぼんやりと思っただけだけど、ぼんやりじゃなくて掘り下げてもおもしろそうだ。

2011/11/17

野見山暁治『うつろうかたち』(平凡社)




この間書き忘れていたが、野見山さんは田中小実昌さんの義兄である。
だから野見山さんのエッセイには「コミちゃん」として田中小実昌さんがわりと頻繁に登場する。

かなり前から田中小実昌さんの本を読みたいとは思っていて近所の古本屋などに立ち寄る時は探してみるのだが見当たらず未だに読んでいない。そんな状況でエッセイの中で「コミちゃん」に何度も会っていると、やっぱりどうしてもコミちゃんを読んでみたくなってしまってネットで買ってしまった。


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先に読んだ『四百字のデッサン』は1960〜70年代に書かれたもので、『うつろうかたち』は2003年刊行。
だから『うつろうかたち』を読んで感じたのは、文章が作家風になったなぁというところだ。
でも私はそういうのより気取らない文章の方がいいなと思う。小洒落た文章はどことなくニセモノっぽく響く。

そんな中で、講演をもとに起稿された第三章がいちばん良かった。
野見山さんの画家としてのリアルな声があって興味深かった。


Photobook

妹の結婚のお祝いにDreamPagesさんでフォトブックを作った。
A5縦サイズ、40ページ、ハードカバー。


DNPの DreamPages → https://dreampages.jp/


2011/11/08

野見山暁治『四百字のデッサン』(河出書房新社)





野見山暁治 ( のみやま ぎょうじ ) さんのことは、洲之内徹さんの『気まぐれ美術館』で知った。
しかし実は、ずいぶん前に上田市にある無言館という野見山さんと関わりの深い美術館には行ったことがある。

無言館は信濃デッサン館の分館として1997年に開館。第二次世界大戦中に志半ばで亡くなった画学生たちの作品や遺品が展示されている。館長は窪島誠一郎氏。野見山さんは窪島さんと一緒に設立に携わった人であり、作品収集に尽力をつくした画家である。
それなのに、私はつい最近まで野見山さんを知らなかった。誰が館長でどんな人がどんな風にして美術館をつくったのかということにその頃の私はまるで興味がなかったのだ。おそらく名前は目にしていたと思うが覚えられなかった。

野見山さんや窪島さんのことはその時記憶に残らなかったが、美術館を訪れて感じたことは今でもよく覚えている。
まず、建物に存在感があった。小高い丘というか小さな山の頂にそれは在り、何と言えばいいか、そこだけ空気の流れや時の流れが違うような佇まいで、そこには小さな独立した世界があった。
私は青のような静けさと、黄昏のような橙を感じた。不思議と炎のような赤は少しも感じなかった。

無言館へ行った時、私と両親以外は誰もいなかったような気がする。そのせいか名前に相応しく本当に閑寂(しん)としていた。
私はそこにいることがひどくしんどかった。気が重苦しくなった。作品が重いというのでも、若くして戦争で死んだ人たちの遺品があるからというのでもなかった。しんどさは無言館自体が生き物のように感じたことからやってきていた。無言館という生き物に食われて、まるでその腹の中に居るような心地悪さを感じたのである。
私の耳の後ろでひそひそと何かが囁く声が聞こえ、右腕と左腕は誰かがひたりと寄り添っているような気配がした。だから絵を見ることに集中できなかった。また来たいとは思わなかったし、事実その1回しか行っていない。


『四百字のデッサン』はエッセイ集である。画家や有名な人たちとの交流を書いた「ひとびと」というカテゴリーと、日々の思ったり感じたりしたことを書いた「うわの空」というカテゴリーの2種類からなっている。
野見山さんのエカキとしての自身の在り方やパリでの暮らしが書かれていて面白く読めた。戦後の日本の暮らしぶりも面白かった。

中でも私は「ひとびと」の冒頭エッセイ『戦争画とその後 ── 藤田嗣治』が良かった。
藤田嗣治の『アッツ島玉砕』、洲之内さんはこの絵について
藤田嗣治の最高傑作。あんな絵を描いてしまったらその後もう何も描けっこないよ」というようなことを言っていた。
野見山さんの話にもこの絵のことが出てくる。戦争画を描かなくてはいけない時代に描かれたこの絵はまるで逆の反戦画に見えると言っている。
野見山さんの話は、これまで知っていた藤田嗣治とはまるで違う普通の人間の部分の藤田嗣治が書かれていてとても興味深かった。



2011/11/03

妹の写真



これは私がウェディングドレスを着た日の妹。
私と妹が小さい頃にお世話になったご近所さんの会心の一枚。
小田和正さんの「言葉にできない」が流れてきそう。





こちらは妹の結婚式の日に控え室で私が撮った一枚。
妹は私が撮ると表情がいい(と、自画自賛)。



2011/11/02

今週の切り花:ダイアモンドリリー





最近ずっと切り花の写真をUPしてませんでした。


今飾っているのは秋に咲く「ネリネ」という花の園芸品種「ダイアモンドリリー」。


発色の良いピンク色(こんな色の花があるなんて!と思わず買ってしまうくらい目立つ色で)、表面はキラキラとしたラメのような光沢があります。











2011/10/31

ドライフラワー





ドライフラワーでオブジェみたいなのを作って、玄関に飾ってみた。
秋冬らしくていい感じ。


ユーカリの葉はすごくいい匂いがする。アンティークの雑貨屋さんのような匂い。





2011/10/30

ウェディングドレスを着ました

10月22日にウェディングドレスを着て、友達のフォトグラファーのMaoriちゃんに写真を撮ってもらった。


やっぱりMaoriちゃんの写真は、普通の人が撮るのとは違う。
色みとか線とか、他の人の撮ったのと並べるとすごく違う。
お願いしてよかったなぁ。


その写真のいくつか ↓ 




























Maori  web site  www.maori-tone.com


2011/10/25

いしいしんじ『四とそれ以上の国』(文藝春秋)




この本のレビューで、ある人が
「『ポーの話』以降の模索の先の一冊、という気がする。(略)うーん、そっちにいくのか。」
と書いていた。私も同感。

私は『ポーの話』は好きだった。でもこの『四とそれ以上の国』は模索の一冊という感は否めない。
『ポーの話』では全体的にファンタジーと清廉さでまとまっていたのに対し、『四とそれ以上の国』は不思議設定の世界と現実感的な描写がちぐはぐな感じがした。
ファンタジーと清廉さを脱却しようとしているのが伝わる。より人間くささを出そうとしているのが伝わる。
だけど、それが、私としては私の好きないしいさんではなくて残念だった。読むのがしんどかった。

私はいしいさんの物語を読むとパウル・クレーの絵を思い浮かべてしまう。
美しい様々な色彩を感じるし、物事を形どおりに描かないという部分がそう感じさせるのかも知れない。
何が描かれているか見えるのではなく、感じる作品。

現代社会の細事による感情じゃなくて根本のところの感情がいしいさんの作品にはある。
現実社会で生きている私たちじゃなくてもっとずっと太古の人間の有様のような、そういう人間の本質の世界を感じる。しかも人間の善の部分。

この『四とそれ以上の国』はこれまでのいしいさんに人間の血なまぐさい部分を少し足したような作品だと思う。

『四とそれ以上の国』は『塩』『峠』『道』『渦』『藍』という5つの短篇から成る四国を舞台にした本。
短篇なんだけれど、四国という繋がりによって長編のような感じもする。
私はとくに『道』がしんどかった。

やっぱりいしいさんの作品なら『ぶらんこ乗り』『プラネタリウムのふたご』がいい。

安岡章太郎『ガラスの靴・悪い仲間』(講談社文芸文庫)



話の筋も表現も「うまいなぁ」と、思った。大衆万人向けだなぁとも思った。生活という現実そのものを感じた。
そして、そういうまるまる現実そのものみたいな小説って案外ないよなぁと思った。(ただ私がそういうジャンルの小説を読まないだけかも知れないけど。)

絵でも小説でも美しく描きたくなったり、想像的なモチーフを描きたくなったりしてしまうものだと思うのに、安岡さんの物語にはそれがない。ただ人間が生きている。リアルな人間の生活がありありと在る。

どの短篇の人間も、流れるまま、主張せず、待ち、決定的な場面を避ける。
現実を生きる人間というのは、日常というのは、案外そういうものであると思う。

私が好んで読む本はどちらかというと形而上学的なものが多いから、安岡さんが新しく感じた。
とくに『宿題』という男の子が主人公となる話は強烈だった。終わり方にゾゾゾとした。
『陰気な愉しみ』の筋も主人公の感覚もそう描くのかと感心した。