2011/08/26

柳瀬正夢展の図録











1990年に開かれた『没後45年 柳瀬正夢展 ねじ釘の画家』の図録を手に入れた。
まだパラパラと絵を見るくらいしかしていないが、武蔵野美術大学美術資料図書館が制作したもので、
ものすごく内容の充実した図録だ。

柳瀬正夢という画家のことは、洲之内徹の気まぐれ美術館を読むまで知らなかった。
気まぐれ美術館には私の知らなかった画家がたくさん出てくる。柳瀬正夢もそのひとりだ。

柳瀬という画家は今生きていても、画家としてでもイラストレーターとしてでもデザイナーとしてでも漫画家としてでも第一線で活躍できたと思う。もう、本当に、多才というかずば抜けたセンスの持ち主というか、とにかくスゴい画家だと思う。

絵なんかは、セザンヌっぽいとかゴッホっぽいとかクレーっぽいとかあるんだけど、真似っていうのじゃなく、その作品がその作品としてちゃんと素晴しい。つまりどんな風に描いても上手いのだ。
それでそんな画力だから当然グラフィックデザインをやっても上手い。漫画を描いても上手い。似顔絵も上手い。
それでセンスもいいから写真などを使ったコラージュやデザインも上手い。
ここにそれぞれの写真を載せられないのが残念。

天才っていうのはこういう人のことだと思うのに、今まで知らなかったのだから驚きである。
知名度というのはどのようにして成るのだろうと不思議に思う。もっと有名でもっと知られていてもおかしくない画家だと思う(と書いたけれど、実際は私が知らないだけで有名で知名度もあるのかもしれない)。
同じように多才な画家として竹久夢二がいるが(柳瀬自身憧れて夢二から夢の字をもらって本名の正六を正夢にしたとされる)こちらは絶大な知名度である。
気まぐれ美術館に書いてあったこと、柳瀬正夢は「反ファシズムの画家でありだから偉大」なのであり、だから共産党の人たちが「わが党の画家」にしてしまっている、ということが関係しているかもしれない。洲之内さんもそういう事情のせいで柳瀬の遺作展を開くことに難儀していたし、そういう連中やそういう扱いに辟易していたと書いていた。きっとそういう事情のせいであまり個展が開かれず、だから有名にならないのだ。
でも、もう戦後66年である。それでも、今でも”そういう事情”はあるんだろうか?
もしそういう事情が今もあるなら悲しい。