2013/12/18

カイユボット展 @京橋・ブリヂストン美術館


カイユボット展図録


パリのオルセーで見たのではなかったような気もするが、どこかでカイユボットの「床を削る人々」を見て、それがとても気に入って、カイユボットが好きになった。
だから他の作品も見たいと思っていた。

まとめてこれだけ見れたら大満足である。やっぱりいい。好き。

どこが好きかというと、全体的に淋しい感じなのがいい。
人物は肖像画を除いてほとんどの人がこちらを見ていない。どこか憂い淋しげで、それが静かな空気感を生み出している。




マルシャル・カイユボット夫人の肖像
第3回印象派展
印象派の時代であり、印象派の仲間といた(支援もしていた)せいか、カイユボットは印象派のくくりにされているけれど、色彩がまるで印象派とは違う。
寂しい色彩が多く、それが私は好きなのだ。
ユトリロに似ているものもある。自分の絵のタイプに似ているとも思う(もちろん月とスッポンくらいの差はあるけれど、大きく分類するとという意味で)。


どの作品も良かったのだけど、特に印象に残ったものをいくつか挙げておこうと思う。


肖像画の中ではこの『マルシャル・カイユボット夫人の肖像』がいい。
肌の滑らかな描写に立ちすくんでしまった。
セーヌ川に係留されたボート
年配の女性の皮膚の皮っぽい感じの表現も素晴しいが、よぼよぼにせず女性として美しく描かれていることも素敵だと思った。
喪服の黒、肌の白、椅子とカーテンの赤、バランスが良くて落ちつく。






『セーヌ川に係留されたボート』は、印象派らしい作品。
風景の中の音が聞こえてきそうだ。

空が水面に映って同じ色をしていて、その色が私の好きな感じである。


カイユボットの絵は印象派を通り越して現代に近いと思う。
シルクハットの漕手
その理由は構図にある。
構図が現代のイラストレーションやデザインになっている。
今回の展覧会でそれに気付いた。

このボートの絵も前方から後方へ続くボートとマストの配置はよく考えられているし、デザイン性が高い。

カイユボットの作品はこのようにデザインされた絵がほとんどである。 一見普通の印象派の絵に見えるものでも、構図が新しいと思う。



ペリソワール
第4回印象派展
『シルクハットの漕手』という作品も、斬新だなぁと唸ってしまう。
ご存知の通り、カイユボットの弟マルシャルは写真家であり、そのせいかカイユボット自身斬新な構図に挑んでいる。
当時こういう大胆な構図はなかったのではないかと思う。


同じボートでもうひとつ。
こちらの『ペリソワール』は、ハッとする色の鮮やかさに見入ってしまった。

鮮やかな黄色のオールと帽子、緑の水面というシンプルな色みが、素晴しいと思う。
ある意味こちらも色のデザイン。色彩での構成。

たとえばモンドリアンのような抽象画に通ずるものがある。


それから、他の作品でも思ったのだが、カイユボットは前面の人をぼかしているのに背景はしっかり描く。それが不思議な感覚をもたらしている。
目で見た印象、ということなのだろう。見たいものに焦点を当てる。カメラと同じである。



サン=クレールからエトルタへの道を行く
マグロワール親父
『サン=クレールからエトルタへの道を行くマグロワール親父』は、一見正統派のように見えるし印象派らしくも見える。
しかし私はやっぱり構図に凝っているよなぁ、いいなぁと思ってしまう。
私の好きな作品ランキング上位に入る作品。

白い道、白い家、アッシュグレーとアッシュパープルの木陰、木陰と似た色の空、両脇の緑、緑と一体化したようなエメラルドグリーンの海、そしてブルーの作業着の親父。
全体のバランスの作り方が巧い。

作品の左にカラーで割ったものを載せてみた。単純化された色彩による構図というのが分かりやすくなり、デザインとしても優れていることが分かると思う。
キンレンカ


そして最後に載せる作品は、『キンレンカ』
これはもう本当にデザイン性が高い。
こういう感じのもののは自分でもよく描く。これも大好き。ピンクの色も好き。



最後に補足として、今回の展覧会の代表作となっている『ヨーロッパ橋』(図録表紙の絵)の歩いている男女をカップルと思っている人が多いようです(会場でそう話している人にも出会った)が、あれは見知らぬ男女で、後ろから来た男性が歩いている女性をナンパしている姿です。