2011/07/21

『鶴』長谷川四郎(講談社文芸文庫)


参考画像:長谷川潾二郎『猫』の一部



長谷川四郎は、有名な ”世界一幸せそうに見える”『猫』(←写真)を描いた画家長谷川潾二郎の弟である。

長谷川家のDNAはとても優秀である。
長男、海太郎は3つのペンネームを使う流行作家。
次男、潾二郎は洋画家。
三男、濬(しゅん)はロシア文学者。
そして四男が四郎である。

四郎氏は戦争がなければ作家にはならなかったと言う。


私はこれまで、長谷川潾二郎しか知らなかった。
潾二郎の家族がこんなにスゴいと知ったのは(そして長谷川四郎を知ったのは)、
洲之内徹の『絵のなかの散歩』を読んでである。



潾二郎の絵は、代表作『猫』を筆頭に、どれも静謐で美しい。
一見冷たく感じるのだが、そこにはあたたかさがある。私はそういう絵に見える。
一見写実的でありながら、幻想的でもある。
硬い線でありながら、そこにはゆるりとした空気と被写体の息づかいが伝わってくるような絵である。
それは植物であれ、静物であれ、猫であれ、同じように呼吸をしている。
緻密なタッチは被写体となる生きるものたちへの愛情の表れであるように感じる。
私は長谷川潾二郎の絵を見ると心が癒される。
そして同時に孤独を感じる静けさに少し哀しくもなる。



そのような絵を描く兄を持った四郎の小説はやはり静謐で美しい。
一見惨たらしく感じる死は、人間と自然の生を際立たせ、生の美しさを際立たせる。

私は読んでいてダイヤモンドのようだと思った。
その固さ、その輝き、それが私にダイヤモンドを思い起こさせた。

この本は『張徳義』『鶴』『ガラ・ブルセンツォワ』『脱走兵』『可小農園主人』『選択の自由』『赤い岩』の7篇を収めた短篇集である。
どれも満州国での敗戦後も含めた戦時中の話だ。

日記あるいは体験談であるのに、四郎氏の文章はそれを美しい絵画に変え、ひんやりと輝くダイヤモンドに変えてしまう。
四郎氏の文章は私が知っている戦争にまつわるものとはまるで違うものだった。



物語の主人公の心中は、そのまま語られるのではなく、眼の前にある自然や風景に落とし込まれている。
きめ細やかで具体的な描写はそのまま主人公の心となっている。

感情描写が少なく、そこに居る人物を客観的に具体的に飾り立てずにありのままに書いている。
その時代の、そこに存在する人間の、そこにある日々と生活とをただ書いただけ、というように仕上げている。
戦うことや中国人・ロシア人に対するへの個人的な感情はそこにはない。
だってそこは満州国であり、眼の前にはもう人を殺すことも自爆することも当たり前な現実があるのだから。
淡々と書かれた文章でしか表現できないものがある。
そして、その淡々とした文章が却って心にじんわりと沁みてくる。


中でも最初の4篇は素晴しい。とくに『張徳義』と『鶴』は傑作だと思う。
この4篇を読んでいる時、私はまるで音楽を聴いているような感覚になった。
うまく言えないのだが、文章を読んでいるとそれが音楽を聴いた時みたいに脳に伝わるような、不思議な感覚だった。