2011/09/15

『陸橋からの眺め』中村昌義(河出書房新社)





数ヶ月間、洲之内徹の『気まぐれ美術館』に浸かっていたので(途中、長谷川四郎さんも読んだけれど気持ちは絵画モードのままだったので)、本を開いて冒頭を読み始めたとき「あぁ、小説だ」と当たり前のことなんだけれどそんなことにハッと気が付いて、とても変な感じがした。でも、それだからすごく新鮮に感じてぐんぐんとあっという間に読み切ってしまった。

気まぐれ美術館を読んでいる時は、書かれている言葉を心に落として、それをじっくりと噛み締めるように自分自身と対話しながら読んでいて、どちらかといえば心の疲労を伴う読み方をしていたから、小説というのに戸惑ってしまった。それに、小説を読んでいる時、気まぐれ美術館を読んでいた時と違って全く何も考えていないことにちょっと驚いた。

この小説は3つの続きの短篇で成った主人公の男性の成長を書いたもので、それぞれにそれぞれの女性が登場している。
主人公やその家族や恋人たちの感情は私の内にはさっぱりと入ってこなかった。戦後の日常があり、揺れ動く心情があり、成長があり、人間のことがよく描かれているなぁとは思うのに、感動はしなかった。小説に馴染めていないせいかもしれない。

つまらないというのではないし、どうなるんだろうという興味を持たせる書き方に実際止められなくてどんどんと読んでしまったのだけれど、煮え切らないぐじぐじした主人公がそこにいただけで、読み終えて何も残らなかった。
でもそれは私が女だから母親に憧れ母親を求め続ける主人公の気持ちに共感できなかったせいかもしれない。
ぐじぐじしているように見えるのは言い換えれば微妙な心情を細やかに描いているとも言え、そういうのが良さだったりもする。

文章はすごく読みやすくて、わりと好きなんだけどな。