2012/12/09

『燈火節』片山廣子(月曜社)









片山廣子さんは与謝野晶子と同世代の歌人であり翻訳家(筆名は松村よね子)でありエッセイストである。

室生犀星、堀辰雄、芥川龍之介と親交があり、森鴎外、坪内逍遥、上田敏、菊池寛らに高く評価された。
というように書くとだいたいどの時代の人か分かりやすい。
堀と芥川の作品の中には片山さんをモデルとした人が在ったりする。



「ある國のこよみ」というエッセイで始まる。


はじめに生まれたのは勸びの靈である、この新しい年をよろこべ!
一月  靈はまだ目がさめぬ
二月  虹を織る
三月  雨のなかに微笑する
四月  白と綠の衣を着る
五月  世界の⾭春
六月  壯嚴
七月  二つの世界にゐる
八月  色彩
九月  美を夢みる
十月  溜息する
十一月 おとろへる
十二月 眠る
ケルトの古い言ひつたへかもしれない、或るふるぼけた本の最後の頁に何のつながりもなくこの暦が載つてゐるのを讀んだのである。

このあと色についての話が続くのだが、この最初のエッセイで私のこころはぐっと掴まれた。

片山さんは歌人であるから、前半のエッセイにはいくつも歌が出てくる。
私はどちらかというと詩より短歌の方がしっくりくる。塾で中学生に国語を教えていた時も短歌は結構好きだった。おそらく短歌には色があるからだろう、色彩を通して状景や心情がすんなりと心に入ってくる気がする。
短歌がいくつも載っていてそれがとても良かった。とくに小野小町の歌を久しぶりに見てやっぱりいいなぁと思った。私は古い歌の方が好きだ。
とくに歌集を買うことはないけれど、こうして読む機会があるといいなと思う。

花の色はうつりにけりな徒にわが身世にふるながめせしまに

などはあまりに有名な一句だけれど、やっぱりいい。
ほかにも、

うたたねに戀しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
いとせめて戀しき時はうばたまの夜の衣をかへしてぞきる

などの恋の歌もいいし、

卯の花の咲ける垣根に時ならでわが如ぞ鳴く鶯の声

などのように音を重ね心情を重ね、状景の浮かび易い歌などもいいし、
最期の句とされている

あはれなりわが身のはてや淺みどりつひには野邊の霞とおもへば

というこの歌など、なんと心に沁み入る歌だろうと思う。


短歌を読んでいて、ふっと友人のEmiちゃんを思った(THE LOWBROWSの、夏目漱石のひ孫のEmiちゃん)。
そうか、彼女のつくる歌詞は短歌と似ているのだと気付いた。私は彼女のことが、彼女の生み出す世界が、大好きである。
たとえば、『 seachin' my soul /NEO 』 の歌詞にこんなものがある

仮初めのかげろふに知らぬ間に零れた面影
幾つ薫る幻佇んで現に触れ
在りし日の余韻に刻み出す何時か奏でた欠片

彼女の言葉が音楽に乗ると、美しい音となり、命が宿る。


短歌の登場は徐々になくなり、読み終える頃には短歌のことは忘れてしまい、読み終えたときの感想は、川上弘美さんに似ていたなというのが真っ先にくる。
食べ物の話が多いところとか、とくに「燈火節」の章のあとにくる「燈火節の周邊」の章のエッセイにそう感じた。
「うちのお稲荷さん」というエッセイでお稲荷さんと会話しちゃうところなんかは何となく川上さんを思い出させる。正しく言えば川上さんが片山さんに似ているのだけど。


それから、旦那さんや子供など身近な人が早くに亡くなっているから片山さんの文章は死がまとわりついているものが多い。
生活の中の出来事を書いたエッセイであるのに、この世とあの世をつなぐ通過点のような、どこかひっそりと静かな空気が全体に満ちている。
そのせいか、この本を読んでいるとき、何かと引き替えに2日後に私が死ななければならないという夢をみた。私は死にたくないと思いながら諸々の整理をする。こころで叫び泣きながら、怖くて怖くてたまらない心持ちでいる、そういう夢を見た。

当時の人としてはかなり裕福な生活をしていた作者だから、読む人によっては鼻につくかもしれない。
私はちっとも気にならなかったし、ちゃきちゃきしたおばあちゃんという感じで楽しく読めた。


一人で生活することに倦きて慾も得もなくなり、死にたくなつて死んだのだらうと、まづそれよりほかに考えやうもなかつた。慾も得もなくなるといふ言葉は、疲れきつた時や、ひどく恐ろしい思ひをした時や、あるひはまたお湯にゆつくりはいつて好い氣持になつた時に味はふやうである。
私は先だつてその家の横の道を通つた折、棕櫚の樹のかげの應接間から、ピアノの音がきこえて来て、奇妙に悲しい氣分になつた。あの人がこんなきれいな家の人でなく、もつと貧乏なもつときうくつな生活をしてゐたら、死ななかつたらうと思つたのである。(「赤とピンクの世界」より)

(北極星は)肉眼でみるとあまり大きくはないが、静かにしづかに光つてまばたきもしない。かぎりなく遠い、かぎりなく正しい、冷たい、頼りない感じを與へながら、それでゐて、どの星よりもたのもしく、われわれに近いやうでもある。人間に毎晩よびかけて何か言つてゐる感じである。(「北極星」より)