2011/10/14

野呂邦暢『草のつるぎ』(文春文庫)




思った以上にしんどかった。
読み始め、というか出だしは、すごく " お、いい感じの文章 " と思ったのだけど、読み進めていくうちに徐々にしんどくなっていった。
この作品は作者が自衛隊に入隊していたことがありその経験を物語にしたもので、夏の九州と冬の北海道を舞台とした2篇から成っている。
仲間や上司 ( ? ) が沢山出てくる。主人公の「ぼく」は、ただの東海ではなく東海二士であり、他にも一士、士長、二尉、二曹などなど様々な階級が出てくる。
当時の ( 昭和30年代の ) 自衛隊の様子や社会の様子はよくわかるし、風景描写も人物描写も綿密で詳細で素晴しい。
ただ、私にはそれがしんどかった。ちんぷんかんぷんとまでは言わないけれど、もっと主人公の行動や視点から感情が見えて欲しかった。もちろん主人公の心と風景ないし行動の描写がリンクする場面はたくさんあるし、ほとんどがそうなのだと言われればそうなのかも知れないけれど、それでもやっぱり私の内ではただの出来事の描写になってしまうところが多かった。
だから " つまんないなぁ " と思ってしまう時が何度もあって読み終えるのにだいぶ時間がかかってしまった。
おそらく、自衛隊のことを何にも知らない男性だけの共同生活と無縁な女性ということが大きく関係しているのだと思う。

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 【 初出一覧 】
  草のつるぎ 文學界 昭和48年 12月号
  砦の冬   文學界 昭和49年   3月号
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2011/09/30

丸谷才一『樹影譚』(文藝春秋)





わざと「云ふ」とか「しませう」とかいう旧仮名遣いにしているのが雰囲気を出していると思った。
それが無いときっと、アレ?と思ってしまうような気がする。
丸谷さんのつくり出したい世界は現代言葉ではちぐはぐになってしまう。

旧仮名遣いの言葉たちはレトロな雰囲気を醸し出して、さながら竹久夢二の絵のようだと思った。大正ロマン。
だから、登場する男の子も女の子も私の頭の中では夢二の絵のような顔と服装で、色彩も夢二の絵になっていた。

小説をつくるのがうまいなぁと思う。
『樹影譚』の終わりの2ページは、どうしてだかゾゾゾと鳥肌が立った。じわーっと怖い。闇が迫ってくる感じ。
『夢を買ひます』は、「ね、聞いて聞いて聞いて。」と女の子が喋る書き出しで、その女の子がずっと語っていく形をとるのだけど、話している部分と物語の部分の組み合わせの匙加減がうまい。
始終、うまいなぁ、というのに尽きた。

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【 初出一覧 】
鈍感な青年   文學界1986年 1月号
樹影譚     群像 1987年 4月号
夢を買ひます  新潮 1987年12月号
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2011/09/29

庄野潤三『プールサイド小景・静物』(新潮文庫)




村上春樹さんの『若い読者のための短編小説案内』という本に庄野潤三さんがあったので読んでみたいと思っていた。
そろそろ読む本が少なくなって来たなと思って(野見山暁治さんの『四百字のデッサン』と『うつろうかたち』はもったいないからまだ読まない)、近所の古本屋 " 赤い鰊 " に行ってみたら『プールサイド小景・静物』の文庫本があったので買った。
同じく『若い読者のための——』で取り上げられていた丸谷才一さんの『樹影譚』の単行本もあったので買った。


私は『舞踏』と『プールサイド小景』が良かった。
初めて庄野潤三さんを読んだのだけれど、60年前の川上弘美さん男バージョンだなぁと思った。

短編とかすごく短い文章を書くのがうまいところとか、
何でもない日常と何でもなくない出来事のバランスとか、
小物の出し方とか、
物語の終わり方(ついついもう少し書いてしまいたくなりそうなのにスパッと終わらせてしまうところ。「え? 先はないの?」と目をぱちくりしてしまう終わり方なところ)とか、
全体的に文章の作り方とか描写の仕方が似ているように感じた。

とはいえ、似ているのに心に届く感じは全然違う。それは現代のものと昔のものとの違い。
私は古い作品の方がしっくりくる。いいなぁと思うし好きなものが多い。

どうしてそうなのかは正確には分からないけど、古い作品の方が風景が美しく感じる。瑞々しい。空気も澄んでいてゆるりと柔らかい。静謐な美しさ。いい絵画みたいな雰囲気があると思う。
でも現代の作品は違う。どんな作品であれ空気に光化学スモッグが混じっているような感じがする。カサカサしたものを感じる。いいなと思ってもそれは映画だったりデザインの雰囲気になる。
私はそんな風に感じる(あくまでも私の感じ方として)。


2011/09/27

川上弘美『これでよろしくて?』『パスタマシーンの幽霊』





『これでよろしくて?』は婦人公論に掲載されていたらしい。
なるほど婦人公論的な、それ用の作品という感じ。ざーっとさらーっと読めてしまう。
妹が結婚を控えていて、色々と大変だったり不安だったりしているので、この本を貸してあげた。
たぶん今の妹には心強い一冊になるような気がする。妹は私と違ってちゃんと社会で生きていける堅実で頑張り屋な人だからこういう婦人公論的な作品は合うんじゃないかと姉が勝手に思っているだけだけど。

『パスタマシーンの幽霊』はクネルに掲載されていたらしい。
で、こちらもなるほどクウネル的な感じがする。
そして以前私が似ているようなと書いた『おめでとう』と『ざらざら』にも登場していた女性がまた出てくる。その子の話は2話あって前回からの続きになっている。
そういうところはおもしろいなと思う。それぞれのお話がそれぞれの人物の一部を切りとったものですよ、というアピールになる。そういうことで川上さんの文章の中の人間が生きてくる。それにやっぱり川上さんは短篇の方がいい。
とはいえ、これは少し物足りない感じがする(しかし逆にそれを軽い感じ、クウネル的と言ってしまえばそれまでなのだが)。初期作品の方が私はいいなと思う。

とりあえずここで川上さんは一段落。軽くて楽だったなぁ。
これに慣れると次からの読書がしんどうそう。



家族旅行 IN 箱根






2011/09/22

中村昌義さんの本のこと


中村昌義さんの本の感想を書いてから、そういえば中村さんの本を読んでみたいと思ったきっかけは山田稔さんの『別れの手続き』だったと思い出して、もういちど『別れの手続き』を読んでみた。

『別れの手続き』という表題にもなっているエッセイ ( ? ) は中村昌義さんのことについて書かれている。
中村さんの『静かな日』に出てくる妹 "しの" のモデルとなった中村さんの実の妹さんに会いに行く話である。
山田さんは中村さんのことをとても買っている。素晴しい作家と評している。
引用されている『静かな日』の中の文章を読みながら私はもういちど考えてみる。中村さんの小説について。

やっぱり、中村さんの作品は良い。流れる空気感がいい。
にせものっぽくなくて、景色も人も生きていて、いい油絵のような存在感があって、いい。

それなのに私はあまり芳しくない感想文を書いてしまった。
それはあの2冊が続いているからだと思う。
『静かな日』も『陸橋からの眺め』もどちらもすごく良くて、どちらも私は好きなのだけれど、続けて読んだのが私にはよくなかった。内容を忘れた頃に読めばよかったのだと思う。
そうすれば、繰り返される家族の説明に他が色褪せるなんてことはなかったのだと思う。

牛が咀嚼するように、私も内容のことや文章のことを頭の中に戻してみる。
やっぱり、中村昌義さんの作品は良い。

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川上弘美『どこから行っても遠い町』(新潮社)読了。めずらしくメッセージ性のあるものだった。
町の様々な人が繋がっている仕立てで、次、次、と、ぐんぐん読んでしまった。
筋立てがよく出来ているなぁと思った。




2011/09/21

川上弘美『風花』(集英社文庫)






イライラした。
ちょうど台風15号が関東を通過するとかで、風はごおぉぉっと鳴り、雨は激しい音でアスファルトを打ち鳴らしている時だったから精神的にいつもと違ったのかもしれない。でも、主人公がたまらなく苦手だった。話の筋もあまり好きじゃなかった。
『椰子・椰子』はすごくいい感じなのになぁ。『おめでとう』も『ざらざら』も良かったのに。

長編(と言ってもそう長くはない)になると私は川上作品が好きではなくなってしまうように思う。
主人公とか登場人物とかすべて嘘くさくなって鬱陶しくなる。
長編は普通に現実の設定なのに、どうしてかそう感じる。
突拍子もない有り得ない不思議な話ばかりの短篇の方がずっと現実らしく感じる。

解説では小池真理子さんが「俗世と日常がよく書けている」というようなことを言っていたけれど、私には主人公は非俗で非現実的に思えてしまう。私には「こんな人いるか?」と思えてしまうのだけれど、世の中の女子はこんな感じなのだろうか?


川上弘美『パレード』『おめでとう』『椰子・椰子』『ざらざら』










体調が良くなくてソファで横になってばかりいたので、さらりと読める川上弘美を読もうと思って本棚から『パレード』を引き抜いた。

ページを開いて「あぁ、今の時代の本はデザインなんだなぁ」と思った。
この前に中村昌義さんを読んでいて、川上弘美さんの文章(出だしの1行)を見たら中村さんの方は絵画なんだと気付いた。中村さんの小説は絵画のうちでも佐藤哲三の絵のようだと感じた。

あっという間に『パレード』を読み終えて、それから『おめでとう』と『椰子・椰子』と『ざらざら』も読んだ。

読み続けていると「川上弘美は働く女子のための、妻子持ちと恋をしている女子のための、本だなぁ」と思う。
だいたいが女性が主人公だし、女の人が書く小説って感じがする。
女子ってこういうセンチメンタルなデザインが好きなのだ。
『パレード』や『おめでとう』や『ざらざら』は、どこがどうだとは言えないけれど、決定的に女子の小説だと思う。

『椰子・椰子』は、女子とか男性とかいうのはなく、どちらかといえば、他の川上作品が好きな女子は苦手なんじゃないかと思う。内田百閒風だから(解説で南伸坊さんもそう言っている)ちょっと毛色が違う。
私はその非現実的な夢のようなお話の中にも現実の色々な考えや捉え方が垣間見えて(つまり有り得ないお話自体が比喩という形になって成り立っているように感じるところが多々あって)、こういう川上さんの方が好きだしすごいなぁと思う。

『おめでとう』と『ざらざら』は短い話がいくつも入っている。本当にいろんな女子が出てくる。様々な年齢の様々な境遇の(とはいえ実はどの人も同じ人みたいにみんな感覚や感情や思考は似ているなのだけど)女子がいる。
だから女性ならたぶんなんとなく誰でも共感するように思える。色々な主人公がいるから、その誰かには読んでいる自分と似ている人を探せるような気がする。
たとえば、私なんかは、『おめでとう』に出てきた(この人は『ざらざら』にも出てくる)、時々少しお金になるイラストを描いて、時々全くお金にならない油を描く女の人に近しいものを感じた。それにまた、好きな人に会いたい会いたいと強く思うところとか、友達がおかまとか、そういうのも似ていると思う。

いっぺんに読んだら、大好きだった人をものすごく恋しくなった。
でも叶わないから、胸の奥がぐっと苦しくなって、悲しくなった。(川上風に書いてみた)

2011/09/20

『静かな日』中村昌義(河出書房新社)




先に読んだ『陸橋からの眺め』は少年時代の話だったけど、そちらの方が後に書かれたものだった。
最後のページに載っているその記述を見て私は「へぇ〜」と驚いてしまった。
『静かな日』は『陸橋からの眺め』と同じ主人公の30代から40代にかけての話だったから、すっかり『静かな日』の方が後なのかと思ってしまった。私は最も最初の作品となる「うずくまる闇」がいちばん好きだ。

『静かな日』収録3編
  静かな日    昭和51年8月号「文藝」
  うずくまる闇  昭和43年10月号「文藝」
  走る日     昭和50年4月号「文藝」

『陸橋からの眺め』収録3編
  出立の冬    昭和52年7月号「文藝」
  淵の声     昭和53年7月号「文藝」
  陸橋からの眺め 昭和54年3月号「文藝」

同じ主人公の話だなんて知らなかったから、続けざまに読むとかなりしんどかった。しつこいなぁと思ってしまった。
父が高級官吏で巣鴨プリズンに居て母が美しく(そしてマザコン気味で)5人兄弟で等々、同じ話しが何度も何度も出てくると、他の、小さな美しいものたちが私の内から消えてしまう。だから良かったのかそうでもなかったのかも分からなくなってしまう。
なんとなくこの人の作品は男の人向きな気がする。

2011/09/15

『陸橋からの眺め』中村昌義(河出書房新社)





数ヶ月間、洲之内徹の『気まぐれ美術館』に浸かっていたので(途中、長谷川四郎さんも読んだけれど気持ちは絵画モードのままだったので)、本を開いて冒頭を読み始めたとき「あぁ、小説だ」と当たり前のことなんだけれどそんなことにハッと気が付いて、とても変な感じがした。でも、それだからすごく新鮮に感じてぐんぐんとあっという間に読み切ってしまった。

気まぐれ美術館を読んでいる時は、書かれている言葉を心に落として、それをじっくりと噛み締めるように自分自身と対話しながら読んでいて、どちらかといえば心の疲労を伴う読み方をしていたから、小説というのに戸惑ってしまった。それに、小説を読んでいる時、気まぐれ美術館を読んでいた時と違って全く何も考えていないことにちょっと驚いた。

この小説は3つの続きの短篇で成った主人公の男性の成長を書いたもので、それぞれにそれぞれの女性が登場している。
主人公やその家族や恋人たちの感情は私の内にはさっぱりと入ってこなかった。戦後の日常があり、揺れ動く心情があり、成長があり、人間のことがよく描かれているなぁとは思うのに、感動はしなかった。小説に馴染めていないせいかもしれない。

つまらないというのではないし、どうなるんだろうという興味を持たせる書き方に実際止められなくてどんどんと読んでしまったのだけれど、煮え切らないぐじぐじした主人公がそこにいただけで、読み終えて何も残らなかった。
でもそれは私が女だから母親に憧れ母親を求め続ける主人公の気持ちに共感できなかったせいかもしれない。
ぐじぐじしているように見えるのは言い換えれば微妙な心情を細やかに描いているとも言え、そういうのが良さだったりもする。

文章はすごく読みやすくて、わりと好きなんだけどな。