2013/05/05

『小さな町』小山清(堀江敏幸解説 / みすず書房・大人の本棚)

小山清さんは1911年生まれ。元号でいうと明治44年の生まれになる。だから今とは違う景色と人物が在る。
私はこういう古い時代のものが好きなので楽しく読めた。

この本には『小さな町』をはじめ、計10篇の短篇が収められている。
最初は主人公の性格というか人物像に馴染めなかったけど、読んでいくうちに小山さんの世界観がわかってくる。
だから感じ方としてどんどん良くなって、最後に収められている『夕張の春』はさらに若者の初々しさがプラスされた心温まる作品となっていて、読後感が良かった。

小山さんの作品はどれも主人公だけでなく登場する多くの人が「ふつう」の人として飾る事なくそこに居る。そこに数人の「ふつう」より光る魅力のある人が居て、それが作品のアクセントとなっている。

語り手が惹かれるのはみな弱き者たちで、当然語り手自身もその者たちに等しい存在である。そしてそれは私のような読み手とも等しく、読み手は親近感を抱き心が慰められ支えられる。

堀江敏幸さんが解説で「ふつう」の人たちを描く小山さんについて分かりやすく説明してくれていて、解説を読んで「まさにその通り」だと思った。
そこから少々抜き出しながらまとめてみると、

《 小山清は、「平凡」を、世間一般の「ふつう」とは区別しようとする。『小さな町』で彼がやろうとしているのは、単にうつくしい過去を振り返ることではなく、「ふつう」や「平凡」として片づけられているものに、ほんとうの力と光を当てようとして 》いる。
小山さんの言う「平凡」は、最もいい景色は平凡な景色だというような意味での「平凡」で、欲が深いと「平凡」にはなれず、なることがむずかしいものだと言う。

私は読んでいる中で「ふつう」ではない「平凡」の人がキリストのような存在として在るように感じた。
作品の中での大半は「ふつう」の人で、時折「平凡」に近い人が登場する。
なにがしか欠損のある弱者ばかりである「ふつう」の彼らはみな「ふつう」であることを「ふつう」に生き、理想的な「平凡」のレベルを目指そうとはしない。

《 身体の、心の汚れは汚れとして認めたうえで、みずからの「ふつう」に向き合うこと。「おぢさんの話」は、背伸びをして自分を完璧な「平凡」に近づけようなどと気負わず、背骨の曲がりは曲がったまま、首のゆがみはゆがんだまま、鈍い頭は鈍いままで生きていこうという勇気を与えてくれる一篇だ。この強さと弱さを双方兼ね備えて、なおかつ人の上に立たないという静かな覚悟こそが、短篇集『小さな町』の隅々にまで張りめぐらされた道標なのである。 》