2013/05/09

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹(文藝春秋)


この本が出るにあたり、ニュースになったり行列が出来たりして、私は村上春樹さんが大好きだけど何となくすぐに買うのが躊躇われて、最近ようやく手にした。


読む前はこの長いタイトルからどんな内容なのかさっぱり見当もつかなかったが、読んでいくうちにこのタイトルしかないなぁと思った。
というか、このタイトルがいちばん内容を言い表わしていて、しかもぴったりだという感じがした。


村上春樹さんの本を読むと、いつも不思議な感覚になる。
まるで自分の言いたいことや言いたかったことを代弁してくれているような共感を覚える。
普段の自分がどこかに行ってしまい、奇妙な感じになる。なんとなく、普段閉めている扉を開けられて普段あまり取り合わないようにしている感情が引きずり出されて、生きていくために追いやっている自分自身とか過去のこととかが表に出て来て、いつもとは違う自分になってしまっているような感じがする。
それが村上春樹さんの魅力なのだろうと思うが、どうしてそうなるのか分からない。


それにしてもやっぱり相変わらず村上さんはすごい。
感情というイメージを文章にするのもうまいし、文章の書き方(人称の変更とか)や、構成(時代や場面の移行とか)もうまいし、非現実的要素を用いて現実的な主題を描くバランスもうまいし、本当にすごいなぁと思う。
とくに驚くのは10代の頃の気持ちを今なおありありと描けること。私は今10代や20代前半のころの絵を描けと言われても描けない。あの頃の狂気や怒りや絶望は今はもう薄れてしまって描けない(もちろんその代わりにその時には決して描けなかった感情やその時にはまだ経験していない感情を描けるようにはなったと思うけど)。
村上さんは10代の頃に感じた気持ちを思い出させてくれる。あぁ、10代の頃はそうだったな、と。

ただ、強いて言うならば、灰田くんのことを後半に少し触れて欲しかった。灰田くんのことだって多崎つくるくんの中では解決しないつっかえなんだし、と思ってしまった。作者的にはカラフルなグループの方での回答を示す事で灰田くんの方も解決したということなのかもしれないけど、私は灰田くんとつくるくんの場面が気に入っていたからもっと読みたかった。

今回のは全体的にざっくりしていたようにも感じた。でもそれは今回のは上下巻などの長編ではなかったからそう感じただけかも知れない。

それから今回は珍しく普通の人っぽい人たちが多く登場していて、いつもより普段の自分に戻って来易かった。


そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。(307pより)