2013/09/16

『雪の練習生』多和田葉子(新潮社)



おもしろかった。
いしいしんじさんにちょっと近いように感じる。

シロクマが人間のように生活しているというと、かなりのファンタジーなはずなのに、絶妙なバランスで構成されていてファンタジー作品にしていない。ものすごく計算されて考えられて作られていると思う。
多和田葉子さん、読んだことなかったけどすごい作家さんだ。

シロクマ3代の話と言っても、3つの話の書き方(シロクマの在り方)はそれぞれ異なっている。
初代「わたし」は作家として、人間と同じように生活している書き方で、これだけがファンタジーっぽい。
しかし娘「トスカ」と孫「クヌート」はご存知の通り実在のシロクマで事実に沿った物語になっている。

サーカスにいた「トスカ」の話は実際トスカとサーカスで一緒だった調教師の女性ウルズラが語る形をとる。『死の接吻』という芸も実際にふたりで行なっている。

「クヌート」の話はシロクマとしてクヌートの目線で描かれている。
クヌートの飼育員だったトーマスさんが2008年に急逝したことでこの話が浮かんだんだろうか?(初出は2010年10月〜12月の「新潮」)クヌートがトーマスさん(作中はマティアスさん)に最大の愛と感謝と尊敬を表している。
実際のトーマスさんとクヌートふたりのあの仲の良い姿を見ていれば、物語はリアルでありながらそうあって欲しいという願いの空想でもある。
トーマスさんがいなくなった淋しさでクヌートは死んでしまったんじゃないかと思えてくる。


 そのことも新聞で知った。マティアスが心臓発作で死んだ。死んだと言うことの意味が初めはぴんと来なかったが、何度も読んでいるうちに、もう絶対に逢えないという岩の塊が脳天に落ちてきた。もちろん、もし生きていても、もう二度と逢えないのかもしれない。でもひょっとしたら逢えたかもしれない。ひょっとしたらと思いながら生きていくことを人間は希望と呼んでいる。その希望が死んだ。(「北極を想う日」p231より)


中のデザインの方が好き。
なんとなく私にはドイツっぽく感じるし、物語にも合う気がする。