2010/10/04

『オラクル・ナイト』ポール オースター (新潮社/柴田元幸訳)



恰好の読書ソファを得て、読書のペースが格段に上がってしまった。
最低限のするべきことをする時間以外の時間をソファで過ごしてしまう。
週末前に有隣堂@恵比寿アトレ店で、ポール・オースターの『オラクル・ナイト』を買っていたので、賞状技法士の提出課題を終えるとすぐに本格的に読み始めた。
相変わらずオースターはあっという間に読み終えてしまう。もっともっと楽しい時間の中にいたいのに、読み止めることもできずあれよあれよという間に終わりを迎えてしまう。

今回の作品もオースターのキーワードのようなものである(と、私が思っている)偶然と必然というところから物語が始まる。すべてのことに意味があり、その偶然は必然なのだとストレートに投げつけてくる。

たいていの人間はむしろ過去に行きたがるはずだという確信が募っていった。(中略)『オラクル・ナイト』のレミュエル・フラッグは未来を見て、それによって破滅した。自分がいつ死ぬのか、自分が愛する人にいつ裏切られるか、そんなことを我々は知りたくない。でも死ぬ前の死者のことばはぜひ知りたいと思う。生者としての死者に出会いたいのだ。p119


「言葉は現実なんだ。人間に属するものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚がなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人の中にあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事を起こらせることなのかもしれない」p218


物語が終わって、私は自分がニューヨークにいるような錯覚がしたくらい物語に没頭していた。部屋から出て現実の世界が目に入ってきた時ひどく変な心持ちになって、少し混乱して、現実に馴染むまでに時間がかかってしまった。
オースターの小説を読み終えてしばらくしてしまうと、オースター作品は私をこういう心持ちにさせてしまうのだったということを忘れてしまう。そうだ、明るくないんだった、喪失感とかカサカサした切なさが残るんだった、とまた一から思い直すことになる。
でもそれは作品としてちっともマイナスな意味ではない。今回の『オラクル・ナイト』も、とても素晴しかった。オースターの新たな試みによる構成は作品を意味深長にする効果があってよかった。内容も面白かった。