2011/03/09

『葬送』平野啓一郎(新潮文庫)


[ (注) 思ったこと感じたことをそのまま勢いで書いているので読みにくく、まとまりがないかもしれません。ご勘弁を。]



まず装丁。
大抵は単行本の方が良いのだけど『葬送』は文庫の装丁の方がいい。
たぶん単行本の方はショパンのイメージなんだろうと思う。軽やかで繊細で華やかで。
それに替わって文庫本の方はドラクロワのイメージ。
単行本の装丁の色みより文庫本の色みの方が内容に合っていると私は思う。



ドラクロワの描いた有名なショパンの肖像画


ドラクロワの自画像
下部には薄らと『サルダナパールの死』

ドラクロワが描いたジョルジュ・サンド。
本来ショパンの肖像画と同じカンバスにあって
ショパンの隣に描かれていた

ドラクロワ作『サルダナパールの死』


私は元々平野啓一郎氏の作品が好きなのだけれど、この『葬送』は本当に良かった。
私の好きな本ベスト3に入るかも知れない。そのくらい良かった。


解説に作者のことばとして
「ある真理を明示的に分割してひとつひとつの要素で描き、それらが読者の心の中であわさった時、直接的には表現しにくい複雑な真理がいきいきと理解されるように試みた」とある。

なるほど、丹念な状景描写や心理描写は総合的に相まって、読者(私)が抱えている言い表せない心情を言い表してくれているように感じる。
私は物語というよりは自分が言わんとしていることを的確に言い表している文章を綴る作家が好きである。
私がイメージとしてしか包有出来ないものを言葉として文章として掲示してくれるというのは、私には感動的なことである。
たとえば、ドラクロワの創作に対するやる気と倦怠について思い悩む場面。
<病は気持ちのせいなのか? ただ怠けているだけなのでは? 描くことから逃げているだけなのでは?>と自問自答し続ける。その部分で結論は出ない。しかしそれに関連するような別の事柄があり前問いを思い出させたりする。そして読み進めて行くうちに最後の最後にそれに繋がる結論のような描写が出てくる。(勿論「結論のような」であって、結論として描かれているわけではない)

前述があり後述があり、そしてそれが心の中であわさっていく。すべてがそのようにして書かれている。
たぶんこれ以上露骨になると厭味でこれ以下だと分かり難過ぎるんだと思う。私には丁度いい塩梅だった。


天才音楽家ショパン。生きたいと願いつつも病に冒されてゆく「生」。
ショパンの友人であった天才画家ドラクロワ。老いを感じいつか訪れる死を感じながら生きる「生」。

この本はショパンやドラクロワの生きた1800年代においても2000年を過ぎた現代においても共通する主題で描かれている。それは「生と死」についてであり、芸術論であり、人間関係である。

ショパンという偉大な天才もドラクロワという偉大な天才もひとりの人間として描かれている。
当時彼らは200年先の現在においてこれほど有名であるとは知らず、いち音楽家としていち画家としてその天才に翻弄されながら現代と同じように凡人と同じように人間関係に悩みながら生きている。

ショパンとドラクロワふたりの天才を中心に、ショパンの恋人である小説家であり革命家であるジョルジュ・サンドやその娘、ふたりの友人たちが登場する群像劇でもある。

多くの登場人物がいることで、口では語らず胸中で語るそれぞれの人の思いの交錯の描写が実に興味をそそられる。
現代(いま)も同じである。相手を思い、心中を察し、言葉を選ぶ。
また逆に相手の言葉から相手の本質や心中を垣間見たり詮索したりする。
そして自分の発した言葉や示した態度に嫌悪したり後悔したりもする。

この作品は、様々な人間の様々な性格、様々な考え方というものがいつの世も変わらないのだと知らしてくれる。
生と死というモチーフはいつの時代でも変わらず、天才であろうが凡人であろうが変わらず、芸術家の作品に対する思いもやはりいつの時代でも変わらない。
人間関係の煩わしさとそれによる幸福もいつの時代もどんな人間でも変わらない。

作者が言いたいことを作品として読みやすく分かりやすくするためには、ショパンとドラクロワというふたりの天才、そしてその時代が必要だったのかもしれない。


とにかく素晴しい!のひと言に尽きる作品である。
私はとにかく感動しまくりだった。感動と興奮と感激とでどうにかなってしまいそうなくらいだった。

中でもやはり、ドラクロワの絵画に対する思いと絵画についての記述、議会図書館天井画の解説ともとれる記述、ショパンの演奏会の記述は本当に感動的な素晴しさである。興奮して体が熱くなった。

私は音楽も絵画も言葉にならないものを表現するものだと思っている。
言葉ではなく心で感じるものだと思う。
だから平野氏が音楽や絵画についての感じるという形のないものを、正確に的確に言葉にしてしまうことが衝撃的だった。
まるでそこに音が流れているような、まるでそこに絵があるかのような、いや、それ以上に音楽を聴いて絵画を見て『感じた心』を心以上に言葉で具現化してしまう。
本当に、平野啓一郎氏の天才ぶりに敬服するばかりである。


私にとってドラクロワもショパンもあまりにも偉大過ぎて存在自体に同じ人間として生きていたという実感が持てない人物だった。まるで神のような存在だった。
それを、この本は、私と同じ人間として描いている。
フィクションとノンフィクションの境目がない。知っている限りの史実が正しく書かれていると、知らないこともすべて本当のことに思えてしまう。会話だって心中だって本当にそんなことを語ったり思ったりしていたのかも、と思ってしまう。
それが私を感動と感激と興奮の感情に引きずり込むのである。