2013/06/06

『オディロン・ルドン ー夢の起源ー』 損保ジャパン東郷青児美術館





銅版画家の駒井哲郎さんの本『白と黒の造形』にルドンの作品のことが出てくる。しかしそれに作品の写真は載っていない。だからちょっと読み難かった。なにしろ私はルドンの作品を殆ど知らなかったから、文章が自分の中に入って来なかったのだ。

その本には他にもクレーやミロやドガなんかも出て来る。彼らはルドンに比べればイメージがしっかりとある画家たちだからルドンのところ意外は引っ掛からなかった。
しかしそれがあって、私はいつかまとまってルドンが見たいと思うようになった。

そんなルドンの展覧会ということで、私は久しぶりに積極的に美術館へ行った。

実際にルドンの作品を見て、「あぁ、駒井さんが尊敬するのもわかる、素晴しい!」と思った。
私は駒井さんの本からリストアップしたルドンの作品名を書き出したメモ帳と、駒井さんの本と、出品作品一覧と鉛筆を持って展示を観て回った。
本で説明している作品の前ではもういちど駒井さんの文章を読み、作品を観た。ソファが置かれていればそこに座って本を読み、遠くから作品を観た。

実を言うと最初の石版画集『夢の中で』は特に何とも思わなかった。ヘタウマみたいにも思えた。でも次の石版画集『エドガー・ポーに』の「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」(図1) の、構図と発想にちょっと惹き付けられ、石版画集『起源』の「おそらく花の中に最初の視覚があったのだろう」(図2) の植物の線が人間の皺に見え始め、そう見え始めてしまうともう線の一本一本に生命力があるように見えて来て、作品の中でそれらがごく僅かにごく静かに動いているんじゃないかと思うほど生々しく迫って来るようになった。


次の石版画集『ゴヤ領』の「沼の花、悲しそうな人間の顔」(図3) の顔から放たれる光の様、その光が映る水面のきらめき、その表現の美しさに目をみはってしまった。
白い細く細かい線がほとんど黒の画面に幻想的な世界を創り出している。

石版画集『夜』では明暗の使い方がさらに美しくなってくる。
「読書をする人」(図4) はレンブラントの絵画のごとく白と黒の世界で光を見事に使いこなしていた。
石版画集『聖アントワーヌの誘惑』第三集ではより柔らかさと滑らかさが増してくる。

そして、私はここから先の版画集『悪の華』と石版画集『夢想』がとくに気に入った。やわらかい鉛筆のような線が美しい。
『夢の中で』などの最初の方では硬い線での表現だったのが、この『悪の華』や『夢想』では柔らかい線も取り入れるようになる。
線が硬いと光も硬くなる。光が反射してキラキラと輝く水面は硬い線が適していたが、柔らかい線になったことで今度は全体を包み込む光を表現するようになる。
柔らかい光は同時に空気をも表現する。画面全体をやわらかな幻想的な空気が包み込んでいる。
白と黒の世界でありながらどことなく光の中に色彩を感じる。少し離れたところに座って眺めているとそれがよく分かる。

気に入った作品のひとつ『夢想』「昼の光」(図5) について駒井さんが言っていることに私も強く同感する。
窓を透して差しこむ薄い昼の日ざし。窓外の一本の立木のしなやかさ。全体的に幾何学的な構図でありながら、この立木のかろやかな木の葉の描写によって一つの音楽を奏でているようにみえる。(中略)五十歳を過ぎたルドンの幻想は怪奇なものを追い求めることからは遠ざかり、もっと幅の広い深い静謐さが全体を領しているようだ。


その後の色彩作品も素晴しかった。「アポロンの戦車」の、赤褐色と碧がかった水色が美しかった。パステルがいいアクセントになっているようで、私もパステルを使ってみようと思った。
「ヴェネツィア風景 あるいは ヴェネツィアの漁師地区」「編み物をする娘」も好き。

ポストカードやポスターや図録で見る作品は実物とはまるで違ってしまっている。実物を観た後に印刷物を見ると「全然違う!本物は素晴しいのに!」と思う。
色彩作品に限って言えばどことなくシャガールに似ていると感じた。
シャガールも印刷物になるとかなり色が違う。マドリッドの美術館でいくつもポスターを観たけれど、忠実に再現できているものはひとつもなかった。ルドンの作品もシャガールと同じで再現し難いのだろう。










今回の図録。白い紙ケースに入っている。
文字の部分が切り取られて図録の表紙の花の絵の色が見える。
凝った仕様で素敵。

ケースを取るとこんな感じ ↓