2013/06/08

新潮現代文学31 福永武彦『忘却の河』『海市』

装画:岡田謙三


『忘却の河』を読んだあとに別の本を色々読んでしまったので、ちょっと忘れかけている。でも、良かったということは覚えている。

福永さん、良かった。私は結構好き。
『海市』の最初は『忘却の河』の方が良かったなと思いながら読んでいたのだが、途中から甲乙つけ難い、、、と思った。
どちらも手法を凝らし、それがいい作用を生み、結果おもしろくさせている。

解説で加賀乙彦氏がこう書いている。
彼は意識を交錯させ、視点を変え、一人称を三人称にずらしていく。この場合、重要なのは一つの章、または節が、モンタージュのやりかたで、接合されていることだ。これは映画ではおなじみの手法だが、映像をつかわない小説においては、接合部分が不分明になり、読者の興味をつなげないために、むしろ避けようとする小説家が多い。モンタージュよりも、フラッシュ・バックやカット・バックの手法によって、過去の時間を何とか地の文に融かしこみ、そうすることによって文章を読み進んでいく読者の目をそらさないように配慮するのが、小説家の智恵である。
ところが、福永武彦は、何の説明もなしに、いきなり異質な文章を並べるのだ。(中略)明快な文章をモンタージュ方式で並べていくという福永の小説作法(後略)

私はいつも、この「モンタージュ方式」のことをうまく言えないでいたから、これを読んで、なるほどそうか、映像で考えてモンタージュと言えばいいのかと納得した。
そして本当にまさに福永さんの小説はこの方法によっておもしろくなっている。

どちらの作品も女性は愛のために命を抛ってしまうのに、主人公の中年男性は過去を抱えていて愛から逃げる卑怯者というのがなんかいい。
暗くてぐずぐずうじうじしている。変わろうとしているようで変われない(変わらない)。いかにも人間らしい。そういうのが良かった。
こういうのは男性じゃないとうまく書けないような気がする。