2012/04/16

『ボロ家の春秋』梅崎春生(講談社文芸文庫)


 梅崎さんの名前は見たことがあったけど、読んだのは初めて。
 この『ボロ家の春秋』は短篇集で7つの短篇が収められている。
 梅崎さんの小説には「戦争もの」と「隣人もの」があって、こちらは後者。

 梅崎さんは、戦争ものにおいては、
 苛烈な環境状況にあっても生活はある
 というような書き方をし(読んでいないので解説に拠る)、隣人ものの方では、
 平和な何の変哲もない日常にも苛烈な状況はある
 という書き方をしている。
 だから「戦争もの」も「隣人もの」も本質として梅崎さんの中では別ものではないのだと思う。
 人間は生きているうちはどんな状況であれ生活をしなくてはいけない。

 そんな梅崎さんが書く日常小説は悲惨さをコミカルに乗せた灰色にくすんだユーモアがあり、深みがあって、おもしろい。
 登場人物の名前ひとつとっても梅崎さんのエスプリが効いている。その名前をつける理由(わけ)がある。猿沢と蟹江というふたりの男性を描いたものはその名前から連想される通りさるかに合戦を彷彿とさせる。

僕は生まれつき相当のオセッカイ屋で、他人との関係にもこれなくしては入れなかった。でも大ざっぱに言えば、人間と人間を結び合うものは、愛などというしゃらくさいものでなく、もっぱらこのオセッカイとか出しゃばりの精神ではないでしょうか。大づかみに僕はそう了承しています。オセッカイこそ人間が生きていることの保証であるという具合にです。(「ボロ家の春秋」より)

好意か親切か余計なオセッカイか、それは発する者が決めるんじゃなく、受取る方で決めるものだからです。(「凡人凡語」より)

 梅崎さんが発表した当時はこれが現代小説だったわけだが、当時の隣人はそれから50年以上経った今でもちっとも違和感がない。 人間のあり方、人間と人間の結びつき、社会とのあり方、そういうものは変わらない。
 根っこはそういう風に深いのに、梅崎節は滑稽さをマントにして重々しく見せない。
『蜆』なんてかなりブラックで怖いのに気分が重くなるようなことはない。
『ボロ家の春秋」もかなりシビアに切羽詰まった状況であるのにちょっと笑ってしまう。

 とにもかくにも、おもしろい本。万人におススメできる本。